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長い別れ

チャンドラーのこの作品は、三人目の訳者を得た。読み始めてすぐに、これは好きな小説だとわかった。だからマーロウとの時間をできるだけ楽もうと、じっくりと時間をかけて読んだ。今は心地よい読後感に酔いしれている。

清水訳の長いお別れが垣間見せてくれたハードボイルドの世界は、初めての海外旅行のときのように何もかもがキラキラして見え、一気に翻訳小説の魅力にはまってしまった。ロング・グッドバイは探偵の一人称が物語をドライブしていくのがよくわかったけれど、どういうわけかそれほど心は躍らなかった。今作、長い別れで、遠い日に一目惚れしたマーロウにようやく再会することができた。漠然と抱き続けてきたイメージはそのままに、人間味のある台詞に惚れ直した。会話がとてもいい。ロバート・ミッチャムでもエリオット・グールドでもない、チャンドラーのフィリップ・マーロウがここに生きていた。

最近は、翻訳小説の名作がいくつも新訳されている。新訳といっても、今時の言葉を多用するから新訳だというわけではない。舞台となっている時代の空気を、かつてよりも解像度を上げて描きだすことが新訳する意味なのだと、本作を読んで感じた。長いお別れを読んだときは、台詞や行動にところどころ謎があると感じていて、それもチャンドラーの作風なんだから、と自身を思い込ませていた。が、この新訳ではそうした疑問を抱えることなく一文一文を楽しみながら読み終えた。考えてみると、翻訳文学というのは面白い。原文を元に、日本語でその国の文学を表現するという、そもそも矛盾しかない芸当をしているわけだ。この作品でも、オリジナルにあったハードボイルドのフレーバーを損なうことなく、いや、読者のことを考えていくらかは味付けもしてくれてはいるだろうが、日本文学とは違う小説世界を提示してくれている。この作品は本当にいい翻訳だと思う。田口氏風にいえばエンタメ翻訳だが。

今回、この本を読んで特に感じたのは、人間を描こうとするチャンドラーの思いだ。探偵は犯人捜しや謎解きのために行動をしているわけではない。様々な人物が行き交う場に誘い込まれ、会話し行動していく中で、出来事と出来事をつなぎ合わせ、大きな絵を描いていく。読者は、探偵とともにさまざまな登場人物に会い、理不尽な目に遭わされ、ときには探偵の言動を俯瞰で見たり、ときには探偵の考えがわからずに置いて行かれたりしながら、物語の中を進んでいく。そして最後のページを迎えるころには、探偵とともに出会ってきた人物に思いを馳せ、物語の余韻のなかにもう少し佇んでいたいと願う自分に気づく。警察官だって善人もいるんだよ、などとほんの少し訳知り顔になった自分に。この余韻にまだまだ浸っていたいと思わせる素晴らしい一冊だった。