Life and Pages

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それで君の声はどこにあるんだ?

黒人神学という言葉が、つまりそうした学問があることをつい最近まで知らなかった。だが、その言葉を聞いたときに、ずっと考えていた疑問を解くきっかけになるかもしれないと思い、この本を手にした。

アメリカでは今でも、残念ながら黒人たちは命の危機にさらされ続けている。黒人の死亡率は白人の倍だという。もちろん病気のせいではない。差別によって不当に殺される場合が今もあるからだ。黒人でキリスト教信者である人たちは大勢いる。一方で、キリストは白人の宗教だという人もいる。奴隷として扱われていた日々から多くの年月が過ぎても、まだ怯えながら暮らす黒人たちは少なくない。神に祈っても、救われないことが多いのに、キリスト教信者であり続ける黒人たち。彼らにとってキリスト教徒はどういう意味を持つのだろうかと疑問だった。

この本を読み終えても、私の疑問は解消することはなかったが、神に祈り続けながら生きていくことこそが、宗教なのだということはわかった。キリスト自身も神に見放されたと思いながら磔になった。だが、キリストは復活しても、警官に殺された黒人たちが生き返ることはない。不条理を抱えて生きている。合理性はない。それでも「キリスト者となることは、黒人となることとどこか似ている」とジェームズ・ボールドウィンは言ったという。

アメリカにはトランプを支持する黒人もいれば、貧民の白人もいる。合理的であることは、生きていくことの第一ルールではないのだ。だからこそ、宗教というものに人間は何かの光を見いだそうとするのかもしれない。

コロナ禍のアメリカで、チャイナウイルスと呼んだ大統領を信じて、多くのアジア人が黒人たちと同じような目に遭った。黒人であることの本当の苦しみを日本人に理解できるのだろうか?それは、この本の著者がずっと抱えている疑問だ。真の理解にはほど遠いかもしれないが、想像力を発揮することが人間として生きていくことの基本なのだと思う。そして自分なりの声を見つけることを求められているのだと思う。