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NHKテレビ 英雄たちの選択 土偶を愛した弥生人

日本史の教科書では、1万年続いた縄文時代は、大陸から稲作と鉄器がもたらされると弥生時代へと変わった、と教えられている。

しかし、元号を変えるように、ある日一斉に日本中が稲作をはじめるわけはないし、1万年続いた文化などが一気になくなるわけもないのだ。今回の番組では、弥生人の集落と縄文人の集落が隣り合って共生していたことが近畿地方の遺跡から判明した。また、九州の弥生時代の遺跡からは、東北の特徴的な縄文土器の破片が見つかり、さらに縄文の代表的な遺跡である土偶が、近畿地方から見つかった。これはおそらく、大陸から九州地方に最初に伝わった稲作を学ぼうと東北に住んでいた人々が、九州まで出かけていったと考えられるそうだ。

また、縄文土器の特長は、自由な曲線やダイナミックさであり、弥生土器の特長は、円型や長方形など、規則性に基づく造形だという。これは、情緒や呪術的な世界観と、合理性に基づく世界観の違いではないかという考察があった。また、弥生後期になると、縄文的な文様が加わってくる。さらに、縄文人弥生人が共生していた地域では、双方から縄文的な宗教儀式を行っていたと思われる遺構が見つかっている。

日本人には縄文的な、つまり自然崇拝であったり、情緒的な思考をよしとするDNA的なものが現代人にも受け継がれているのではないかという話は面白かった。磯田さんはそれについての考察を広げ、日本の地勢的特長をあげ、これほど森林の多い国土に囲まれた国は他にはないために、自然に囲まれて生きてきたことが影響しているのではないかと言っていた。たしかに、宗教的な面でも、神道などは八百万神だし、自然のことを抜きに、人間つまり科学技術だけではやっていけないと、日本人は考えているのではないだろうか。江戸の町も、度重なる大火を防ぐ建築様式を取り入れていこうとするより、焼失してもすぐに再建できる木と紙と土の家を選択した。諦観というのではなく、想定できないことが起こることもあると、想定しておく、合理的な考えが大事なのではないだろうか。