Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

閑話休題 テニススクールで

今日は、本の話でも映画の話でもない。テニススクールに通っている。少し背伸びをして、上のクラスに入れてもらったので、コーチの言う通りにはできない。でも、言われたことを実行しようとしている。それが人から学ぶということだから。でも、なかなか上手なのだが、コーチの言われた通りにやらない人がいる。あきらかに、言われたことと違う事をしている。もったいないなあと思う。苦手なこと、知らないことだから教えてもらっているわけで、自分ができることを増やすには新しいこと、難しい事にチャレンジしなくちゃならない。どんなに大変でも。コーチの言うことを聞かないタイプの一例に、すぐにコーチと仲良くなって、ため口になったり、若いコーチだと上からものを言う、ミドルエイジドの女性がいる。だれとでも仲良くなれるのはすごいことだけど、そのせいで、コーチの指示を回避してしまっている。そんなのできないし、という感じで、最初からトライもしない。もったいないと思う。スクールは、コーチに指導される難題をかいくぐってサバイバルするところではなくて、できないことにチャレンジして玉砕して、また繰り返して、少しずつ身につけていくところだからだ。自分の子供くらいの年齢のコーチだったとしても、相手はプロだ。学ばなければもったいない。

映画 ナミヤ雑貨店の奇跡

ずっと前に録画してHDDに入っていたのをようやく観れた。お店の常連の子供たちから寄せられた相談に、何十年ものあいだ答えていたご主人のもとに人生の岐路に立った大人たちからも、相談が寄せられるようになる。こうした相談に対する回答は、どちらともとれる言葉を自分の思いにしたがって解釈することになるから、どちらかと言えば受け取り手の問題になる。それでも、自分の悩みを真摯に受け止めてくれた人がいるということは、それだけで、生きる力になることもある。

ご主人は、自分の死期を悟り、自分の三十三回忌に一日だけ窓口を開いて、自分の回答を受け取った人たちから、その後の人生について教えてもらいたいと、息子に託す。そして、その日がやって来て、2012年が1980年と時を超えてつながる。そして不思議なことが起こり、そこに巻き込まれた人たちに奇跡が起こる。時系列を解体することで、ファンタジーが立ち上がる。上手な物語だと思う。

ここ数年、日本の映画はファンタジー仕立てが多い。たいていは、死者と再び会うことになったりする「こうあってほしい」という、現代では失われてしまった人間の願いを描いている。それは、即効性のある癒やしとして、現代に求められているものなのかもしれない。

一方で、欧米の作家が描くファンタジーは、大きな視点から描かれた、ファンタジーでないと描ききれない物語のように思える。指輪物語の壮大なストーリーのように。それは癒やしではなく、新たな問いを視聴者や読者に投げかける。生きることについてだったり、世界の見方についてだったり。

どちらがいいとか、そういうことではなく、作家の視点や関心がどこに向かっているかの違いなのだろう。今回観た映画は、よくできていたけれど、そんなことを考えさせてくれた。

映画 ロケットマン

ずっと愛が欲しかったんだな、と映画を観終わってまず感じた。愛って何かわからなかったから、探しもとめていたんだなって。ただ、ハグしてほしかっただけなのに。ただ自分のことを受け止めてもらいたかっただけなのに。エルトン・ジョンの歌は、学生時代、社会人になり始めた頃、ずっとBGMのように流れていた。素晴らしい歌を、しっとりとした歌も歌うのに、なぜか仮装好きなPOPスター。おかしな人だと感じながら、POPスターとはそういうものなのだと勝手に思っていた。

楽家に限らずアーチストは、何かが欠落しているから、その穴を埋めようと何かを創り出すという人がいるが、彼は自分を全面的に受け入れてくれる人、場所を追い求め、その精神的な活動の中で音楽を創り出したのだろうか。天賦の才能に超絶ピアノ技巧を加えて、独自の歌を作った。盟友の作詞家がいたことも大きい。その才能を周りは放っておかない。音楽の持つ力は凄いものだし、そして大金を生み出すから、いろんな人たちがよってくる。そのときに、自分を保っていられるかどうか。アーチストは孤独だ。ミュージシャンは特に、取り巻きが増えるから、群衆の中の孤独を味わうことになる。一人でいる時間が減り、しらふでいられる時間が減り、睡眠時間が減る。なんでもとことん突き詰めてしまうのがアーチストだから、お酒が増え、薬にたより、sexに溺れる。自分を保つのがますます難しくなる。フレディと同じだ。

母に自分がホモセクシャルたど告げると、母は「もう誰にも愛されることはない人生をあなたは選んだのよ」と彼に告げる。エルトンは、自分の性向を否定されたということより、うすうす感じていた、母の愛の不在が確かなことにショックを受ける。

エルトンは酒と縁を切ることにする。そこで、もう一度自分を取り戻した。いや、ずっと手に入れたかったものが何かを再認識し、もう一度、求めた。今の彼は幸せそうだ。生きていてくれて良かった。

それにしても、音楽とは不思議なものだ。人の心に届く。外国語の歌でも涙がこぼれる。映像が浮かぶ。過去のある日がリアルに浮き上がり、匂いもする。魔法のようだ。そして、ミュージシャンは魔法使いのようだ。だから、人間とは違う体験をしてしまうのだろう。

隣の席のおしゃべりなおばさん二人は、映画が始まるとじっと静かに見入っていた。そしてエンドロールが流れると、歌を一緒に口ずさんでいた。エルトンのファンはすごい。

https://rocketman.jp/

ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた。

この雑誌とは「マンハント」のことだ。1958年から1963年まで、アメリカの雑誌「manhunt」の日本語版として、ミステリーなどを紹介したA5サイズの雑誌だ。新刊で売られていた当時のことは、もちろん知らないのだが、ミステリー雑誌の草分けだという、この雑誌の存在は知っていたから、大学時代に神保町の古書店で一冊買ったことがある。今も書棚のどこかにあるはずだ。学生の頃はミステリーマガジンを読んでいたし、ハードボイルド小説が好きで、古書店でペイパーバックを買いあさっていた。手に入れたマンハントは、そうとうに古びていて、そっと開いて眺めただけだったから、どんな人たちが書いていたのかまで、分析することはできなかった。手に入れただけで満足したんだと思う。

この本を読んでわかったのは、そうそうたるスタッフがこの本に関わっていたということだ。私の好きな片岡義男の他にも、植草甚一小鷹信光湯川れい子都筑道夫田中小実昌中田耕治矢野徹など、学生時代に好きだった作家が勢揃いしている。

この雑誌は「新青年」というさらに以前出ていた雑誌の後継を目指したという話が出てくるが、さすがに新青年のことは知らない。ヒッチコックマガジンを若き日の小林信彦が編集していたことは知っていたが、ハードボイルドかぶれの私は、そちらにはあまり関心がいかなかった。マンハントが、新しい翻訳文体を作りだしたことやカラーグラビアのことなど、へえー、と言いながら、学生自体を思い出して楽しんだ。平野甲賀の装丁もかつての晶文社の単行本そのそもので、なんだか嬉しい。

著者の鏡明は、SFの人で、広告業界の有名人でもあるというくらいしか知らなかったけれど、おもしろい文章を書くのだなと思った。お会いしたこともあるのだけれど、言葉を交わしたことはなかったな。

 

ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた

ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた

 

 

映画 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

タランティーノの最新作だ。舞台は1969年のハリウッド。知るはずはないのに、どこか懐かしい風景。自分の中の過去の断片的な記憶が編集し直されて、この時代の目撃者になったような気になる。差別的な言い方も出てくるが、それは、この時代に実際にあったもの。タバコに酒に、ミニスカートに車。ブラピの運転する姿はかっこいい。殴り合いも凄い。ワンス・アポン・ア・タイムだ。歴史から学ぼうとするとき、われわれのすべきことは、小さな事実を積み上げて表面的で薄っぺらなストーリーを作ることではなく、こうした個人の視点から見た、その時代のリアルな、濃密な断片から生まれる、実在したはずの人間の息吹を味わうことなのではないだろうか。

主人公のリック・ダルトンは、かつて西部劇スターとして一世を風靡した俳優。今はテレビドラマの敵役専門役者になってしまい、イタリアのマカロニウエスタンで何本か主演を務めるものの、最盛期を過ぎた自分を嘆いている。このあたりは、トイストーリー4と似た悲哀を感じた。

リック専門のスタントダブル(というのだね)のクリフ・ブースは、リックと盟友で仲良しの、運命共同体だ。スタントマンの仕事がないときは、リックの運転車や雑用係を引き受けている。腕っ節が強く、まっすぐな性格で、感情をごまかすことができない。

高級住宅地エリアに住むリックの隣人は、シャロン・テート。そう、実在の人物がこの映画には大勢出てくる。ロマン・ポランスキーも、ブルース・リースティーブ・マックイーンも。60年代を代表する現象ともいえるヒッピーたちも登場する。彼らの自分勝手な論理は、今のネット民に近いなあと思った。そして映画は8月9日を迎えることになる。

タランティーノの映画につきものの、格闘、暴力シーンは観ていて、痛みを感じる。今回もしっかりと痛がらせてくれたし、本当にドキドキした。そしてアメリカ人は西部劇が好きだし、それはそのままハードボイルドにつながったのだと思った。

http://www.onceinhollywood.jp/

読みたいことを、書けばいい。

タイトルがずっと気になっていて、でも、平積みになっていたから、案外お手軽本なのかなあと遠巻きにしていたけれど、エイヤと買ってみたらなかなか良かった。著者は元電通のコピーライターである。というだけで、「ああ、そういう人ね」とくくられかねないのだけれど、この人の文章は面白い。そしてキラリと光る気になる真実がちりばめられている。タイトルの通り、金儲けのためとかではなくて、賢さをひけらかすためでもなくて、お題をいただいたら、自分が納得するまで書き続ける。しっかりと調査して、ぐいぐい書き進める。このあたりは、コピーライターの技術だと思う。検索、調査、裏取りに関して、コピーライターは達人である。同業者だからよくわかる。そして著者の場合は、過剰に書き進めるというか、掘り下げるように書き抜くのである。これはノウハウ本とかではなくて、生き様の開陳である。

 

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

 

 

なかなか暮れない夏の夕暮れ

主人公は、ほんの少しでも時間があると本を読む。待ち合わせのバーのカウンターで。スカイプを立ち上げ、相手が画面に出てくるまでのわずかな時間に。読んでいるのは翻訳ミステリーだ。真冬の北欧で殺人事件が起こった直後、物語は中断される。改行されると主人公の部屋のチャイムが鳴り、時間が動き出す。そのようにして主人公が本を手に取ったとき、作中の小説が読めるのだが、断片的にしかわからない。それでも、複数の本を並行して読んでいるときのような不思議な感覚になる。本を読む主人公を追体験するメタ読書体験だ。かつての筒井康隆の実験的な小説のようでもある。

わたしは以前、小説を読んだあとや映画を観たあと、その世界観にはまってしまい、現実が違って見えた経験が何度かあった。大学の教室に向かう廊下を歩いていると、その廊下の反対側が映画で見た世界へそのまま続いている、そう思うことがあった。学生で一人暮らしの頃だったから、起きている時間の大半、本を読んでいたから、そんなことが起きたのだと思う。この本の主人公は、資産家のご子息で、仕事らしい仕事をせずに独身暮らしをしているから、生活にリアリティがない。だから、そんな生活と物語の世界が地続きになっているのだろう。とにかく時間さえあれば本を読み続ける。高等遊民という言葉があったが、そんな人なのだ。

主人公とその彼を取り巻く物語があり、彼が読んでいる本の世界が並行して進む。それと同じ本を読んでいる、主人公の知り合いの女の人がいて、彼女が本を読むときも、作中小説の話が読める。かなり前半部分を読んでいるので、われわれ読者は、そのことで小さな謎が解決する。その小説もいつの間にか終わり、作中で主人公は二冊目を、今度はアメリカが舞台の小説を読み始める。読者には、もう、この小説全体の構造がわかってしまっているので、最初の作中小説ほどは身を入れて読まない。すると、相対的に主人公を取り巻く世界の話が少し前に出てくる。主人公は、現実よりも小説の方に惹かれていることがわかってくる。やはり高等遊民なのだ。自分からは積極的に動くことはほとんどないから、小説の物語を先に進める力に惹かれているのだろう。

 

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)