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本や映画、音楽、日々の雑感

忍者入門

英語との対訳本でとても読みやすい。山田先生の監修で、楽しんで書いてある。挿絵になっている漫画のタッチがどうにも苦手だが、これが流行の漫画なんだろう。でも勉強になった。

Ninja 英語訳つき忍者入門 ― 忍者入門試験公式テキスト

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  • 発売日: 2019/02/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった

タイトルからもうすごいのだが、元気にさせてくれる文章を書く人だ。著者が中学生のときに父親が突然亡くなる。それも、彼女が「お父さんなんか死んじゃえ」と言った日の夜に倒れて、そのまま入院してまもなく亡くなられた。なんという体験だろう。親子げんかの常套句が、違う意味を持ってしまった。そしてそこから、彼女の人生が動き出す。

そして、母も倒れて車椅子の人になり、弟はダウン症。絶望的な気持ちになっても仕方ないような境遇なのに、この作家は明るいのだ。そして、自分の考えを文章にするのがとても上手だ。耳がいいのだと思う。父親の言葉、母親の言葉、弟の言葉を受け止めて自分で考えて文章にする。

母親も病気から回復して、もう歩けないことがわかったときは絶望的になるが、娘の言葉に支えられ、だんだんと強く明るくなっていく。もとに戻っていく、というべきなのだろう。この母親の言葉もすばらしい。「人を大切にできるのは、人から大切にされた人だけやねんな」

弟も自分のできることをしようとする。そしてできるのだ。姉とふたり旅にでて、バスに乗ろうとしたとき、小銭を用意してくださいと言われてパニックになった姉に頼まれ、両替してきてと千円札を渡される。彼はなんとコーラを買っておつりの小銭を持って戻ってきた。両替はできなくても、求められていることにしっかりと応えたのだ。

それとこの本の装丁が素晴らしい。祖父江慎さんのデザイン。本文中にぴらりと一枚、小さめの家族写真が挟み込まれている。この写真に家族の関係がすべて映っている。そして、弟君が一生懸命書いた数字を使って、ページ番号が組まれている。紙の本はこういうことができるだ。すごい。最近で一番うれしかった本。

家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった
 

 

パンデミックの文明論

新型コロナに対する考え方、向き合い方の差は、歴史や文化によって大きく影響を受けている。西欧人にとってマスクをすることはスペイン風邪の記憶を呼び起こし、病気に負けた気になるのではないかとか、そもそも日本人は普段からソーシャルディスタンスを取っているとか、世界を視野に入れると学ぶことが多い。

このふたりの似たもの同士の対談は面白い。小学校の時から、あまりに変わっている子だったので、いじめも受けなかったとか。ヤマザキさんは、自らが様々な国で体験したことと自分で積極的に学んだことから、知見を披露してくれる。中野さんは、テレビで見ていても創刊時たけれど、いろんなことを知っているのに、この場に適切な発言をしようとしている。それでもふたりは、時々脱線したり、もとの話に戻したり、大きく軸をぶらさずに比較文化の話になっていて、とても面白い。

パンデミックの文明論 (文春新書)

パンデミックの文明論 (文春新書)

 

 

映画 ボルグ/マッケンロー

このふたりのテニスプレイヤーのことは知っている。テレビでゲームの様子を見たこともある。でも、当時わたしはテニスをやっていなかったし、ルディアが喧伝するくらいのことしか知らなかった。たぶん、世界の大半の人々がそうなんだと思う。で、この映画が作られたのだろう。

ボルグ役の俳優さんは、テニスをしていないときはよく似ていた。マッケンロー役はいまひとつ。それでも、ふたりの中が良かったことや、ボルグも少年時代はマッケンロー並みの悪ガキだったことを知って、それはよかった。でも、テニスのシーンはいまいちだった。俯瞰で、役者をあまり大きく写さず、ボールの軌道でラリーを見せるというのはひとつのアイデアだ。しかし、肉体が、体の動かし方がまったく違った。なにも、寸分違わぬものを求めているわけではないが、このふたりの物語を語るとき、あの非凡な体の使いかた抜きでは成立しないと思う。特にマッケンローの体の使い方はなかなか真似できない。そこが少し残念だった。

gaga.ne.jp

たちどまって考える

地元の人たちとのテニスサークルに久しぶりに参加した。おじさんのひとりが「大坂さんもお騒がせだね」とまるで天気の話をするみたいに、誰からも聞かれていないのにそう言い、幸いにも他の誰もそれに反応しなかったのでその話はそれで立ち消えになった。わたしは驚いた。BLMについてはそれぞれ意見があると思うが、大坂なおみ選手の行動は、少なくとも騒がせたとかいう観点で語られるべきことではない。私はびっくりしてしまって、その後のテニスの試合内容はぼろぼろだった。

その少し前に、女性の大学教授が「主張はわかるがテニスの場ですべきことではなかった」と発言した。いやいや、主張を何一つわかっていないではないか。他人事ではないから、自分と切り離せない問題だから、ひとりの人間として発言したのだ。世界の注目を集められる場だと知っていて。私も含めずっと日本で育った日本人には肌感覚ではわからないことに違いない。でも、当事者の立場に立って考えてみようともしないで、海外のニュースなどで背景を調べてみることもしないで自分の感覚で反応してしまうと、大きく間違うこともあるということに無自覚なのは、人間として恥ずかしいことだと思う。

この本はヤマザキマリさんが、COVID-19のせいで日本から出られなくなっているこの時期に書いた本で、いろいろな点について自省しながら読んでいる。上記のことは、ママ友のひとりが、デモに参加したということでLINEグループから外された、という話を紹介していた箇所を読んで、思い出したことだ。ヤマザキさん自身も「漫画家が何を言っているのだ」という言い方をされこともあるのだという。

もちろんこの本にはパンデミックに関する話が多く、今回のパンデミックで「今まで表に出てこなかったものが剥き出しになっている」と書いている。私は、なにごとにも優先順位づけをさせられるようになったと思っている。リスクを負ってまで会いたい人は誰なのか、わざわざ食事に行くとすればそれはどの店なのか。

「社会という群れのなかでなければ生きられず、知恵の発達した生き物としての傲りで膨れ上がってきた人類。パンデミックは、そんな我々にいったんたちどまって学習する機会を与えてくれたのだと、私は捉えています」

その言葉が胸にしみる。

たちどまって考える (中公新書ラクレ (699))

たちどまって考える (中公新書ラクレ (699))

 

 

 

かならず先に好きになるどうぶつ。

毎年一冊出る、糸井重里氏のさまざまな文章を集めた本。年に一度の果実の収穫のようで、とても楽しみにしている。この本もいろいろとふーむと思わせ、考えさせられてしまった。引用していくときりがないので、短めのをひとつだけ。

「外れたときにもがっかりしなくていいようにと、

 ネガティブからスタートするやり方ってのもあるけれどさ、

 『受け取るたのしみの総量』が少ないんじゃないかな。」17ページ

うーん。これ、いつもやってるわ、私。なんだかいつもかってに期待してしまっているときに、思いとか願いとかと違った結果になったとき、がっかりしてしまう。そうしたことが続いたあとだと、できるだけ期待しないようにしようと思ってしまう。そうなのだよね、それで結果うまくいったときは、あれっ、という感じで、大喜びはできなくなっている。感情を抑える練習をしていたのだから。楽しみの総量とは、とてもよくわかる言い方だ。言い方、たとえ方のうまさは、糸井さんは本当に天才的なのだけれど、そんなときにも図に乗らないのもすごい。

「ことばにできたような気がするときというのは、

 そういう照明の下で、そう見えた写真のようなもので、

 そう表現されたもののほんとの大きさ豊かさのほうが、

 ことばで言えてることの何百倍もあるのだ。」12ページ

二つ目の引用になったけど、こういう謙虚さは大切だと思う。この本も、時々読み返す本の棚に入れておこう。

かならず先に好きになるどうぶつ。

かならず先に好きになるどうぶつ。

  • 作者:糸井重里
  • 発売日: 2020/09/10
  • メディア: 新書
 

日本語と英語

2012年に発売された本だ。そのときに読んだ。今回、ふち本棚の中にあるのを目にとめ、再読した。日本語と英語の比較から、両者の考え方の違い、つまり世界観の違いを浮き彫りにしている。そして、ある一説でページをめくる指が止まった。

「Youという呼びかけのひと言は、きわめてぜんたい的だ。youと呼ばれたその人のすべてがyouなのだ。youというひと言のなかに、そう呼ばれたその人のすべてがある。その人はyouと呼ばれることによって、すべてが丸出しのような状態になる。

 日本語の場合は呼びかけかたにいろいろある。そのときその場でその相手から必要とされる自分、という部分的な自分が、いろんな呼びかけかたのひとつひとつをとおして、呼びかけられる。それ以外の自分は隠れている。保護されている。自分は他者に対してほとんど常に、部分的な自分なのだ。Iについてもまったく同じだ。Iがそうだから、youもそうなる。その時その場でその相手に必要とされる部分的な自分など、Iとyouにはあり得ない」103Pから104P

言語の違いは、世の中の見方の違いであり、それに適した自分を作り込んでいく日本人と、Iとyouとの関係を積極的に広げていく英語を母語とする人たち。この違いをしっかりと心に留めておかないと、ニュースを見るときも翻訳をするときにも、大切なものが見えなくなる。

日本語と英語―その違いを楽しむ

日本語と英語―その違いを楽しむ