Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

ヤマザキマリの世界逍遥録Ⅱ

ヤマザキマリが訪れた世界各地での思い出をまとめた本の第二弾。JALの機内誌の連載だったそうだ。普通のエッセイストなら、その地の写真と文章なのだろうが、写真ではなく、マリさんの絵と文章なのがアイデアだ。イタリアとブラジルと熊本とキューバと佐賀・・・。世界地図で見たら、バラバラなところにある街の話が並んでいる。これがヤマザキマリの世界観なんだろうなと思う。いっぺんぐるりと世界を回った人から見た地球の隅々は、面白い街であふれている。

 

 

硫黄島を生き延びて

硫黄島での戦闘の、伝説の司令官についての本を読んでいたとき、時を同じくして、偶然にNHKの過去の番組の再放送で、硫黄島の生き残りの人にインタビューをした番組を観た。そのお一人が本を書かれているということで、手に取ってみた。

この本は著者の秋草さんの兵役体験が書かれた本で、硫黄島の話だけに特化したものではない。通信兵を養成する通信学校時代の話から、硫黄島へ派遣され、そこで凄惨な体験をしたこと、そして硫黄島から敗戦国の負傷兵としてアメリカに連れて行かれ、それから帰国されることの話までが綴られている。それでも、硫黄島で通信兵として任務に就きながら、体験した日々の描写は、当事者ではなくては書けないものだ。

「直径四〇センチの砲弾が、大砲から発射された瞬間だった。そのたった一発で、大きな船体はみるみる硝煙で覆われた。次の瞬間、硝煙の中央から黄赤の尖った物体が伸び上がり、それに押し出された鉄塊が砲弾だった。真っ黒い弾丸は何ものをも振り切る勢いで飛んできた。島との中間に来ても音は聞こえなかった。しかし空気が波となって動き出した。その波動はぐんぐん重くなり、強くなった。空気の波動は振幅を増し、着地の直前が最大に感じられた」

「なんの怨恨もない、知らない者同士で殺し合いをしている。みんな人の子であり、人の親であるのに」

冷静に情況を見極め、的確な言葉で表現された文章は、「見たくない惨状を見るのが私の任務である」という言葉通り、通信兵としての立ち位置が、そうした観察眼を養ったのだろう。

秋草さんは、特攻に使い最後の戦闘で脚を負傷し、壕の中に横たわっていた。米兵がガソリンをまき、火炎放射器で火をつけたが、その火も消え、壕の中に溜まった油混じりの水の上で浮いていたらしい。気がついたときは、グアムの捕虜収容所のような場所にいたという。だから、誰に助け出されたのかもわからない。

秋草さんの本には、司令官の名前は出てこない。他の人たちのこともイニシャルでしか表記されていない。書かれているのは自分が体験したことと、同期兵との会話が中心だ。司令官視点との対比などを想像していたが、そうではなかった。前線の兵卒の思いとはそういうものだろう。

通信を学んだ兵学校が藤沢市にあったことは、初めて知った。そして、秋草さんは私の父親と同じ年の生まれだった。父は、なぜか、センチという単位のことをいつもサンチと言っていた。軍属として参加した戦地で覚えた言葉のはずだ。それは誰が言っていた言葉なのだろう。父のことをいろいろと思い出した。

 

 

散るぞ悲しき

国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき

これは硫黄島総指揮官だった栗林忠道中将の辞世のうちの一首だ。この本のタイトルになったものだ。ところが、朝日新聞に掲載されたときは最後のパートが「散るぞ口惜し」と変えられていた。この句の前には、最後の突撃を前に、現状を伝えている部分があるのだが、そこも同様に改変されている。これが大本営であり、メディアなのだ。

この本では、米国海兵隊が最も大変だった戦闘として語り継がれている硫黄島の日本側指揮官、栗林中将について手紙やご家族、生き残った部下の証言などをもとに。その実像を浮かび上がらせようとしている。

徹底的に合理主義で、軍の上層部に反対しても、自分の目で確かめ、留学時代の知識、日本軍の現状を考え合わせて、徹底抗戦のための作戦を立て、地下に基地を作り、海兵隊が4日で陥落できると見積もっていた戦闘を1か月以上、戦い抜いた。本土からの補給もなく、武器はもちろん、水と食料もない中、今までの日本軍の戦法とは違うやり方で徹底的に戦い続けた。日本の指揮官に類を見ない人だ。

この本を読んでいたとき、たまたまNHKが2006年に放送した、「硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の真実」という番組を見た。それは、過酷な耐久戦を強いられ、怪我をしていたために捕虜となった兵士の証言で構成されていた。飲み水がなく、食べるものもない、そして自決は許されず、最後まで戦えと言われ、それがどんなに悲惨だったかという話だった。

栗林中将は、本土決戦を一日でも遅らせるために一日でも長く戦おうとした。士官だからと言って自らを特別扱いすることなく、兵士たちと同じ場所で、同じ食事で戦った。

どんなにつらくてもひもじくても、生きて戦え、と言われた兵士たちはただ理不尽の中で苦しみ抜いた。

それぞれの立場で見ていたものが違うのは仕方の無いことだ。むろん、どちらが正しいという話ではないが、テレビ制作の取材はノンフィクション作家の取材と緻密な組み立てにはまったく及ばない、と思った。それはそういうものなのだろう。

司会の池上さんは、最後の方で付け加えるように、「元々暮らしていた島民の方は疎開させられたが、軍属として残された一部の人たちも亡くなった」といかに悲惨だったかを形容するために言っていた。それは事実だ。しかし、栗林中将が、島の女性を全員、早々と避難させたことは言っていない。日本兵がいるところには必ずいた慰安婦がいない、特殊な戦場だったのだが。NHKの番組は、硫黄島の戦争の悲惨さを伝えることが目的だったので、狙い通りのできだったのだろう。しかし、事実の拾い上げ方で、幾通りもの真実が作られてしまう様子をかいま見た気がした。冒頭の辞世とともに送られた通信文も、大本営に改竄され、新聞社によって公表されて国威を高揚させる世論が作られた。もしも戦争が起こるようなことがまたあるとしたら、きっとこの国の統治者は国民に本当のことを言わず、メディアはその片棒を担ぐだろう。そのとき、SNSではオルタナティブな真実が飛び交うのだろう。

 

 

本の話ではではない回 鬼籍の話

11月12日 北の冨士勝昭 82歳

11月13日 谷川俊太郎 92歳

11月14日 火野正平 75歳

 

なんでまた、大好きな人たちが立て続けに鬼籍に入られたのか。いろんなことを思うけれど、言葉にするのはもっと後の方がいいのかもしれない。ありがとうこざいました。

 

9番目の音を探して

日本のポップス音楽の世界で一世を風靡した、大江千里という人がいた。90年代くらいかな。それほど熱心に日本のポップスを聴いたことがなかったので、名前を知っているくらいの人だった。そして、あるとき、いなくなった。それが私の印象だ。が、彼は単身(と犬一匹)でNYに渡り、ニュースクールという音楽学校でJAZZの勉強を始めたのだ。自身が40代の半ばを過ぎてから。その壮絶な学びの過程が書かれている。

自ら作詞作曲をして歌い、大勢のファンを獲得していた人が、なぜ日本を離れ、学び直しにNYまでいったのか? という疑問に対しては、ずっとJAZZが好きだったから、という熱い想いがつたわってくる。 ところが、ピアノが弾ける、作曲ができる、という能力を持っていながら、それはJAZZ学校では全く通用しない。入学して間もなく、基本的な用語さえも知らないことにようやく気がつく。年下の同級生からは、この教室にJAZZを知らない人がいる! と言われ、先生からは挨拶しても無視される。それでも、ぐっと堪えて、同級生たちよりもゆっくりなペースで学び続け、JAZZピアニストへと成長していく。

一度功をなした人が、子供の頃からの夢を追って、プライドを切り刻まれながらも、自分であえて、再設定した新しい道を進んでいく。少し前の時代なら、なんてばかなんだろうという声がたくさん聞こえてきそうだけれど、今の時代、こうした無骨で下手くそで、地を這うような生き方はあらためて、価値があると思う人は少なくないのではないだろうか。厳しい現実を隠すことなく書いてくれたこの著書は勇気をくれる。そして大きな問いかけも聞こえてくる。あなたは何のために生きているのか、と。

タイトルは、ドレミファソラシドの次の音を探す、というところから来ている。

 

存在の耐えられない愛おしさ

タイトルを読むと、あの本から来ているのだとわかるが、読んでみると、なるほどと思うタイトルでもある。今までにないタイプのエッセイストだ。本屋に行ったら、ジェーン・スー、糸井重里、シソンヌじろう、森恒二さんが帯を書いている本があって、それで手に取った。

エッセイは視点だ。そして、それを言語化できる文章力だ。自分と同じようなご近所や世界に住んでいるんじゃないかと思って読み出すが、この著者とは見ている世界、体験している世界がこんなにも違うのかとびっくりさせられる。そしてその書き方になるほどと唸らせられる。この著者は(私からしてみればとんでもないほどの)いろいろと大変な目に遭いながら、とても客観的に自分の身に起こった出来事を書き進める。言葉遣いや形容詞だったり、比喩だったり、おやじギャグだったり、筆の滑りだったりに、独特の癖がでる。それが心地よい。

新しい書き手はいつも大歓迎だ。次作も楽しみだ。

 

 

文学キョーダイ!!

 「同志少女よ、敵を撃て」の作家さんが、高橋源一郎さんのラジオにゲストで出ていて、もう一人のゲストがロシア文学の研究者だったのだが、なんと、その方はゲスト作家の姉上だった! とホストの高橋さんもびっくりして、私もほーと思っていた。で、その二人が対談をしている本がこの本だ。

作家になった弟さんは、書く事が好きで、一生書き続けられるということで、結果的に作家になった。お姉さんは、一生本が読み続けられる仕事をしようと思っていて、ロシア文学に出会い、日本の大学に行く前にロシアの大学に行ったという方。どちらも本好きで、その発端のところは、とても共感する。

学者だった父の姿を見て育った二人は、本を読んだり、何かを研究したりする習性を幼い頃から身につけたようだ。新潟に住む祖父は戦争が大嫌いで、トルストイを愛しながら農業をしているような方。夏休みに遊びに来る孫の二人には何でも買って与えるのだが、弟くんが戦車のプラモデルが欲しいといった時は、それは許さない。本当に戦争が嫌いだからだ。それでも、弟くんは、とにかく兵器などに関心を持ち続け、今も技術の集大成として好きなのだ。だが、戦争は大嫌い。それは姉も同じだ。家族の教育がしっかりと身についている。

弟は戦争の物語を通じて反戦を訴え、姉は平和を語ることで反戦を訴えたいと思っているという。弟は雄弁に、姉は相手の言葉を聞きながら、静かに強い意志を持って。よく似ていながら、自分の好きなものを見つけて、それに取り組んでいる。キョウダイとこんなに政治や社会や歴史の話をしたことがあったろうか。普通はないだろうな。でもこの二人にとってはとても普通のことなのだろう。裏も表もなく生きているから、身内同士でも熱い議論ができるのだろう。とても刺激を受けた一冊だ。