Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

テレビ 100分deナショナリズム

この番組は正月の3日に放送されたものを録画しておいて、ようやく観た。100分de名著の特別編だ。

ナショナリズムと聞いて最初に連想するのは、ナチ、戦争、右翼など。自分の国が一番だとまっすぐに信じられるのは凄いなあと思う。どうして自分の国というまとまりが大切で、他国に侵略したり、他国民を殺してもいいと思えるのだろう。ヘイトも同じで、自分の国よりも他の国が劣っていると信じていて、罵声を浴びせたり、暴力を振るってもいいと思えるのだろう。ずっと疑問だった。

一方で、オリンピックとかワールドカップとかになると、日本頑張れと思っている自分に気がつく。あれは、選手が凄いのであって、その人がたまたま同じ国の人だというだけなのに、なぜか日本頑張れと思ってしまう。日本以外の国の人もそうなのだと思う。

ナショナリズムとは想像の中にしかない、と言われてなるほどと思った。たしかに、1億2千万の国民のほとんどとは、一生会うことがない。概念でしかない。

パトリオティズムとも違う。たとえば、政府の利害(ナショナリズム)と沖縄の利害(愛郷心パトリオティズム)が対立することがある。

ナショナリズム選民思想でもある。同じ船に乗る人たちの連帯感。そして、選ばれなかった人、棄民がつねに存在する。最近のヘイトは、自分が国に選ばれているかどうかが心配で、他者を棄民だと位置づけることで結果として自分は選ばれたのだと思い込みたいがゆえの行動だという。

超国家主義というのもある。ナショナリズムを超えた先にあるものは、すべてが渾然と一体化することで、救いが得られると考えること。他者に認められないことがきっかけで、対立ではなく、すべてが1つになれば、他者はいなくなるという、対立軸自体を否定してしまう発想。競争の否定と同じなのかもしれない。イスラム原理主義にも近いと紹介されていた。

この前のラグビー・ワールドカップはにわかラグビーファンとして、とても楽しんだ。日本チームは世界の強豪をいくつも破り、その強さを世界に知らしめた。いろんな国籍のメンバーが、日本チームとしてまとまっていたことが、素直に彼らの活躍を喜べた大きな理由だったなと、わたしは思った。相撲の世界では、つねに日本人の横綱待望論がある。国技といつも言うのも気になる。今回のラグビー日本代表は、それと対局で、人間の多様性を生かしながら、1つにまとまって闘った。そんな素晴らしいチームが、日本のチームでもあったことは本当に素晴らしかった。全員日本人でなくて心地よかった。日本万歳とは叫ぶことができなかったからだ。日本チームありがとう、とは言えた。

ナショナリズムとの対比で、キリスト教の話が出た。ナショナリズムは同じ船に乗る人たちの共同幻想であり、限界がある。しかし、キリスト教徒は、世界中をキリスト教の思想に染めようとしていて、限界がない、という対比の話があった。それは他の宗教も同じなんだろうけれど、海を越えて、キリスト教を広めるという宣教師の原動力はそういうことなのだと思った。