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久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった。

久米宏という人は、頭の回転と同じくらい舌の回転の早い人だという印象がある。ザ・ベストテンぴったしカン・カンTVスクランブル、おしゃれ。どの番組も観ていた。それらをすべて降板して、はじめたのがニュースステーションだった。
思えばニュースステーションはよく観ていた。1985年から2004年3月までの期間だというが10年以上は観ていたと思う。ニュースを解説するために模型を作って視覚化するやり方はとても好きだった。そして、ニュース原稿を読むだけに止まらず、久米さんが一言コメントを付け加えるのが大好きだった。あれこそニュース報道だと思った。今のニュース番組やワイドショーを物足りなく感じるのは、久米宏のようなコメントが聞けなくなったからだと思う。他に朝日新聞
記者の人が解説委員としていて、報道畑からの視点で発言するのもこの番組から始まった。後発のニュース番組が真似して定番となったほとんどのことを、この番組が、久米さんが始めたのだ。ゆったりとしたスペースのスタジオも良かったし、久米さんの手元のメモがチラシの裏紙だったのを覚えている。いつもステキなファッションだったという印象はあったが、その時の最先端の流行を身につけていたことは知らなかった。手に持つペンの色まで洋服に合わせていたことにも気が付かなかった。隅々にまで久米宏のこだわりが行き渡っていたのだ。
後発のニュース番組では、筑紫さんの番組と良治さんがやっていたころの報道特集が面白かった。それ以降は、ニュースキャスターという肩書きでも、時の政権の意向に反することは言わない。淡々と出来事を伝える。一歩踏み込むことはない。かたやワイドショーという朝からやっている番組は、畑違いの人が、耳触りのいい薄っぺらな正論を口にするだけで、毒にも薬にもならない。
ラジオの人としての久米宏を不幸にしてよく知らない。でもラジオの人だというのはよくわかる。永六輔の番組で修行したというのもとても納得できる。芸人さんも生き残っている人たちは深夜ラジオで鍛えられた人が多いし、しゃべることは脳の活性化にとても効果的なであるに違いない。
最近、黒柳徹子さんと一緒にテレビに出た時、「まだまだやれたな」と言っていたが、久米宏本人の能力という意味では、それは真実だろう。ただ時代は変わってしまった。テレビ局の責任ある人たちに、あのころのような、自分で責任を負うというような気概を持った人はいないだろう。スポンサーもそうだろう。視聴者はどうか。ニュースステーションがなくなって13年。ニュースステーションでニュースの見方を学んだ人も随分と減った。トランプ大統領の得意技であるALT FACTも登場する時代。少なくとも以前と同じニュースステーションを求めても実現しないだろう。