Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

永い言い訳

同時に流れていたはずの二人の時間が、妻の死によって一人の時間になる。過去の誤解やわだかまりも血液が流れるごとく、そのままで時とともに流れていったが、一人生き残った夫は自分が知らなかった妻の思いや言葉やその人となりの断片を、また聞きで手に入れ、それを組み立ててみる。そして、わかったつもりになる。
穿った見方だが、結局は主人公の(人間というものの)主観ではじまり、主観でしか終わることができない。当たり前だが、人間というものはそういうものなのだろう。作家である主人公にとって、生きている間は大した愛情を感じることもなかった(と思っていた)妻が不慮の死を迎え、好むと好まざるにかかわらず、妻の周囲にあった生活や人間関係の断片を集めて、自分なりに納得できたというストーリーだ。馬鹿な男だなあ、と読後すぐに思った。そして、人間は誰しも己の主観を通してしか、世の中を見られないのだと、思った。だから誤解するのだ。当たり前だ。誰かとまったく同じように感じることはできないのだから。だから言葉を繰り出す。だから言葉の無力を感じる。だから物語を読む。自分とは違う他者の物語を。違う視点から見た世界のあり方を。
主人公によりそって読み続けられなかったので、読後感がこの本から少しずれてしまった。

永い言い訳

永い言い訳