Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

なかなか暮れない夏の夕暮れ

主人公は、ほんの少しでも時間があると本を読む。待ち合わせのバーのカウンターで。スカイプを立ち上げ、相手が画面に出てくるまでのわずかな時間に。読んでいるのは翻訳ミステリーだ。真冬の北欧で殺人事件が起こった直後、物語は中断される。改行されると主人公の部屋のチャイムが鳴り、時間が動き出す。そのようにして主人公が本を手に取ったとき、作中の小説が読めるのだが、断片的にしかわからない。それでも、複数の本を並行して読んでいるときのような不思議な感覚になる。本を読む主人公を追体験するメタ読書体験だ。かつての筒井康隆の実験的な小説のようでもある。

わたしは以前、小説を読んだあとや映画を観たあと、その世界観にはまってしまい、現実が違って見えた経験が何度かあった。大学の教室に向かう廊下を歩いていると、その廊下の反対側が映画で見た世界へそのまま続いている、そう思うことがあった。学生で一人暮らしの頃だったから、起きている時間の大半、本を読んでいたから、そんなことが起きたのだと思う。この本の主人公は、資産家のご子息で、仕事らしい仕事をせずに独身暮らしをしているから、生活にリアリティがない。だから、そんな生活と物語の世界が地続きになっているのだろう。とにかく時間さえあれば本を読み続ける。高等遊民という言葉があったが、そんな人なのだ。

主人公とその彼を取り巻く物語があり、彼が読んでいる本の世界が並行して進む。それと同じ本を読んでいる、主人公の知り合いの女の人がいて、彼女が本を読むときも、作中小説の話が読める。かなり前半部分を読んでいるので、われわれ読者は、そのことで小さな謎が解決する。その小説もいつの間にか終わり、作中で主人公は二冊目を、今度はアメリカが舞台の小説を読み始める。読者には、もう、この小説全体の構造がわかってしまっているので、最初の作中小説ほどは身を入れて読まない。すると、相対的に主人公を取り巻く世界の話が少し前に出てくる。主人公は、現実よりも小説の方に惹かれていることがわかってくる。やはり高等遊民なのだ。自分からは積極的に動くことはほとんどないから、小説の物語を先に進める力に惹かれているのだろう。

 

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)

なかなか暮れない夏の夕暮れ (ハルキ文庫)