Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

コミックス作家 川村リリカ

片岡義男の新作。主人公は20代の女性のコミックス作家だ。漫画家とは違って、

コミックスに文章を組み合わせてストーリーを綴るスタイルだ。

自画像に近い裸の女性の絵を描くのが得意で、とてもエロいのだという。やはり20代の女性編集者は彼女の描く作品を全面的に支持している。

 

この二人はともに男の言葉で会話する。電話をかけて「俺だよ」と言い、「なんだお前か」と返す。他の人に対しては、いたって普通の言葉を使うので、この二人だけが共有するコミュニケーションの言葉なのだろう。

最近は、女性のアイドルグループやシンガーソングライターなども、僕という言い方を自己を表現する言葉として歌っている。英語なら「I」と言えばいい自分の主語が、僕、俺、私、あたしなどたくさんある。日本語に翻訳するときにまず悩まなくてはならないことだ。読み始めてすぐは、かなり違和感があった。今までも片岡義男の作品には、男言葉を使う女性が登場することはあったが、ずっと、俺とお前の会話が続くと気にならなくなった。二人の嗜好が渋好みだったり、小説のアイデアを語る論理的な展開を説明する場面などが続くからだろう。かといって、男言葉が論理的で、女言葉がそうでないということではない。片岡義男が描こうとする世界観や人と人の関係性を適切に表す日本語を探した結果が、この会話に至ったのではないだろうか。

この本では、主人公のリリカがこれから書こうとするアイデアを語る描写が多い。小説の中に別の小説がある。ふとした日常の風景から物語を発想する作家の柔軟な発想が楽しい。そして、日常の中に赤いハイヒール以外は裸で登場する女性という設定が多い。私はこれを安易なエロネタだとは思わない。日常の中に妄想を持ち込んでストーリーを成立させようとする仕掛けなのだと思う。若い女性作家が自分に似せた裸の女性をコミックで描く。実際には決してあり得ないのだけれど、こうした非日常がコミックスによって実際の形を得るならば、その他の物語を構成する要素はすんなりと読めてしまう。ファンタジー小説も、魔女や不思議な力が存在すると思って読み進めていくと、たくさんの人間の真実が描かれている。だからこれは、ファンタジーなのだ。裸の挿絵はもちろんでてこない。読者が自由に妄想しながら読む小説だ。

それでも読後にはいろいろな思いが残る。男言葉を使う登場人物の会話を読んだことによって、日本人の思考は男言葉と女言葉によって規定されていたんだと改めて気づく。小説とは読者が頭の中で想像することで成立するものなのだと、いまさらながらに気がつく。「こんな女はどこにもいないよ」というのはたやすい。かつてブームになったときも、片岡義男を批判する声は、そうしたものだった。この作家の小説観はまったく変わっていない。最近、若い人が片岡義男を読むことが増えているらしい。時代が30年遅れで追いついたのだろうか。

コミックス作家 川村リリカ

コミックス作家 川村リリカ