Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

Xと云う患者

芥川龍之介を愛する、イギリス人作家が、芥川本人の身に起こったことと、作品の中の主人公との話をひとつの巻物のように繋げて書き上げた、不思議な話だ。芥川の作品が解体され、解題され、この小説の中で展開される。芥川龍之介本人の身に起こったことなのか、芥川の小説の中の話なのか、判断がつかないものもある。調べてみれば、その違いは明解になるだろうが、そのことはこの小説を楽しむこととは関係ないように思う。この小説が目指すものは、小説を含めた芥川龍之介の、不思議な世界観を堪能することなのだと思う。

本を読みながら感じたのは、映画チィゴィネルワイゼンを観た後と似ているということだ。私は、あの映画を観てからしばらくの間、現実の世界と、あの映画の中で描かれていた世界がどこかでつながっているように感じた。学校の長い廊下を歩いていると、突き当たりを曲がった先はあの映画の舞台にふっと入ってしまうのではないかとか思うことがあった。その体験もまた、別の映画、陽炎座の印象も混じっているのだが。鈴木清順監督の世界に、しばらくの間、迷い込んでいたと言うべきか。

この本の中では、芥川龍之介本人にまつわる出来事と小説の中の人物や出来事が同じように並んでいる。どちらが上位概念かわからない。引用している側か、されている側なのかもわからない。インターネットを通して見えてくる世界とよく似ている。あるいは、モーフィングのように、いろんな要素が一つの形に融合していくような作品だとも思った。

桃太郎の話は、金目当ての桃太郎に、荒くれ者のさる、きじ、犬が同行した強盗の話として描かれている。日本人は、悪い鬼を懲らしめる、正義の桃太郎と勇敢な動物たちの話として教え込まれているが、当然、被害者側の視点もあるはずだ。これに関しては、何年か前の朝日広告賞の受賞作に、鬼の子供が泣いている絵の横に、「僕のお父さんは桃太郎に殺されました」というような広告があったが、その視点と同じだと思い出した。映像的なイメージは何年か前のペプシコーラCMで、小栗旬が桃太郎を演じ、巨大なモンスターの鬼と戦う、ファンタジー映画のような世界を思わせた。そのCMには視点の逆転はなかったが。

それと、何度か、呪文のように、同じ言葉が繰り返されていた。「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。」ペシミスティックな観念ではあるが、真実のかけらを感じさせる言葉だ。

 

Xと云う患者 龍之介幻想

Xと云う患者 龍之介幻想