Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

JR上野駅公園口

全米図書賞受賞ということで、ミーハーにも、初めてこの作家の本を読んでみることにした。平成天皇と同じ年に生まれた主人公は東京オリンピックの前年に鹿島から出稼ぎに東京にやってくる。結婚し、一男一女の子供にも恵まれたが、妻と一緒に暮らした日は指を折るほどの日数しかない。六十歳の年まで出稼ぎを続け、家に戻ったが妻が突然死んでしまう。息子にも先立たれていた主人公は家を捨て、上野でホームレスになる。

ホームレスとひと言で言っても、その実態を知ることはない。事件に巻き込まれた時に再認識することがほとんどだ。この小説では上野のホームレスの様子を垣間見せてくれる。

死んだ息子もまた、今上天皇と同じ年に生まれた。主人公は否応もなく、人生の節々で天皇陛下という存在を感じることになる。日本という国の現代史に天皇の存在が大きく関わっていることに改めて気づかされる。

淡々と進むストーリー。それは、日本の高度成長を支えた東北人の気質そのものだ。人の幸福をうらやんだりやっかんだりするのではなく、つらさと切なさを静かに身中に貯えていく。それはやがて極限に達する。静かに、杯から水がこぼれ落ちるように。

この本では、東北の言葉や真宗の経文が書かれている。この英訳はどのようになっているのだろう。気になるところだ。

JR上野駅公園口

JR上野駅公園口

  • 作者:柳 美里
  • 発売日: 2014/03/19
  • メディア: 単行本
 

 

プロデュースの基本

いろんな業界にプロデューサーを名乗る人がいるが、音楽プロデューサーは音楽を愛している人、映画プロデューサーは映画を愛している人、というように、作品作りが本当に好きな人でないとプロデューサーにはなれないのだと思う。そして作家視点とファンの視点が保てる人なのだと思う。文芸の世界では、編集者の仕事が他の業界でプロデューサーと言われている人たちの職種と重なるのだろう。それでも、出版プロデューサーという人も近頃存在する。「出版」ということに長けた人なのだろう。

それとプロデューサーに共通するのは、人を信頼できる、ということだと思う。その人を好きになれるということでもある。そして、組織の人間でありながら、一人の人間として全面的に関わることができる、ということが必要なのだと思う。

この本の作者は、いろんなミュージシャンとともにたくさんの、そしてさまざまな日本の音楽を生み出している人だ。なるほどと思いながら、すいすい読んでしまい、どれが一番大切なことかなと、すぐに再読した。名言至言もあるけれど、なによりも、プロデューサーってどんな人なのかと考えることになった。

肩書きがプロデューサーではなくても、様々な仕事にプロデューサー的要素が求められるし、営業の仕事をしている人でもプロデューサーという呼び方がふさわしい人がいる。人と人をつなげて、自分も深くコミットできる人じゃないとプロデューサーにはなれない。予算管理もプロデューサーの担当だと思っていたけれど、この本を読むとそうでもないらしい。財布を握りながらクリエイティブを作るのは難しいというのはとても共感する。作り出すことが好きな人がプロデューサーなのだと、遠回りして、ようやく当たり前のことに気がつく。だってproducerなんだものな。

プロデュースの基本 (インターナショナル新書)

プロデュースの基本 (インターナショナル新書)

  • 作者:木崎 賢治
  • 発売日: 2020/12/07
  • メディア: 新書
 

 

鬼の子

一学期の終業式の日、中学三年の福田みのるくんは、上半身裸でリュックをしょった少年と出会う。野球部を辞めたばかりのみのるは自分のユニフォームを少年にあげる。少年はなぜか、家までついてきて、よく見ると頭に一本角が生えている。あれっと思いながら、おおらかな母と二人暮らしの家に居候することになる。

母は今も時々現役のグラビア女優。家を出て行った父は元プロ野球選手。鬼の子はオニちゃんと呼ばれ、小学校にも通うようになる・・・。

おかしな設定なのだが、ほのぼのとしたタッチの絵と心の中の景色を描くストーリーに引き込まれた。当初はwebで連載されていたのだが、単行本二冊で刊行された。不思議な話なのに、こんなことがあるといいなという気がしてくる。この漫画家はすばらしい。

鬼の子 (1)

鬼の子 (1)

 

 

 

鬼の子 (2)

鬼の子 (2)

 

 

父を想う

「夢は追いかけた分、近づいてくる」そう言ったのは、ブラジルの国民的ピアニスト、ジョアン・カルロスマルティンス氏だ。13歳でプロデビュー、何度かの災難に見舞われながらも、ビアニストとして活躍していたが、両手の指が思うように動かなくなり、2019年に引退する。しかし、彼のファンだという工業デザイナーが開発したグロープのおかけで、また演奏ができるようになった。来年はカーネギーホールで演奏するという。

今回読んだ本は、このピアニストの話ではない。中国の作家閻連科が伯父、父親、叔父の三兄弟のことを回想して書いた本だ。喘息だった父親は、無理を重ねて、若くしてこの世を去る。著者は親不孝だった自分のことを深く自省する。自分のために無理を重ねて死んだのではないかと。父の兄の伯父は、七人の子供たちのために必死に働いた。普段寡黙なその人は、あるとき我慢が限界に来たのか、子供たちを坐らせ、「おまえたちを殴り殺せば生活は楽になる」と言いながら次々に殴っていく。それでも晩年は心安らかにこの世を去った。父の弟の叔父は、農村を離れ、工場労働者になり、責任のある仕事についた。一ヶ月の給料は農民の3倍になったが、機械が止まると責任を取らされ、給料を半分にされた。晩年は村に戻ったが誰とも話しがあわず、酒と賭け麻雀にのめり込んだ。そしてよって転んだのが原因でこの世を去った。

親世代の三人の人生を振り返りながら、著者の眼差しは人生の深淵を覗き込み、人間が生きることの意味を問う。寒村で生まれただけで、人生が決まってしまう時代の中国に育った作家は、不条理の中でも尊厳を持って生きた人々の人生の意味を読み解いていく。

「健康な人にとっての死は人生のはるか先にあり、一日ごとに一歩ずつ、そこへ近づいていく。手を伸ばせば届くところまで行ったとき、あの世へ連れ去られるのだ。だが病人は、一日ごとに一歩ずつ、死に近づくだけではない。死が向こうから、一日ごとに一歩ずつ駆け寄ってくるのだ」著者は、父の死の意味を考えながらそう書いた。この言葉が、TVで見たブラジルのピアニストの言葉と重なり合った。

コロナ禍のせいか、以前よりも死はずっとリアルになった。以前なら考えても仕方ないと片付けていたことも、考えるようになった。それは悪いことではないように思う。ネガティブなことばかり考えているわけでもないし。

「あと20年生きられれば、昔のように弾けるようになるよ」と80歳のジョアンは笑った。自分の人生を自分の手でしっかりとつかんでいるか。今は誰もが、そう問いかけられているのかもしれない。

父を想う: ある中国作家の自省と回想

父を想う: ある中国作家の自省と回想

  • 作者:連科, 閻
  • 発売日: 2016/05/26
  • メディア: 単行本
 

 

燃えるスカートの少女

不思議な物語の短編集。残酷なおとぎ話のような、夢で見たストーリーのような、アフォリズムのような。ことの顛末とともに、それにともなう感情を描こうとしているようだ。

二人の娘を持つ父親はある日、お腹に大きな穴があく。サーカーボールが入るほどの。それでも普通に生活ができる。本来、そこにあった内臓は脇に追いやられているけど機能は問題ないらしい。その妻は、43歳。妊娠して、3人目の子供が生まれると思いきや、生まれてきたのは、去年亡くなった祖母あちゃんだった。そして、家に帰って家族みんなで食事をしていると、母が冷蔵庫の奥からマジパンを出してくる。祖母の葬式の時のものだという。みんなに切ってあげると、美味しくてみんな、もっと食べたいという。祖母も私の葬式に出た者なのだから、私に長大よと言うが、母は自分の分はとっておくからあげないという。

そんな不思議な話が16篇。短編集はこのくらい自由だと面白い。

燃えるスカートの少女 (角川文庫)

燃えるスカートの少女 (角川文庫)

 

 

年月日

ネットで紹介されていた中国文学の一冊。とてもいい話だった。ノーベル文学賞の候補にもなっている著者だそうだが、初めて読んだ。

先じいは、中国の山中の寒村で目が見えなくなった犬と暮らしている。年々、日射しが強くなり、雨も降らなくなって、農民たちは村を捨てて出て行った。先じいは、一本のトウモロコシの苗を育てるために、肥料として尿をかけ、遠くまで水を汲みに行き、必死に干ばつからトウモロコシを守っている。あちこちからかき集めたトウモロコシの粒やワナで捕まえたネズミを犬と分け合い、命を繋いでいる。そしてとうとう食料も水も尽きる時が来た。先じいはトウモロコシの苗の横に人間が寝られるほどの穴を掘り、盲犬に言う。わしが先に死んだら、この穴に埋めて肥料にしろ。おまえが先立ったら、わしがおまえを埋める。それを聞いて犬は、盲いた目から涙を流す。先じいは言う。「わしが死んだら獣に生まれ変わっておまえになる。おまえが死んだら人に生まれ変わってわしの子どもになるんだ。これまでのように仲良くやっていこうじゃないか」

そして干ばつの時期が過ぎて村人たちが戻ってくるのだが。

不思議な話で杜子春を思い出した。中国大陸の大きなそして大自然の中で生まれた文学だ。

年月日

年月日

  • 作者:閻連科
  • 発売日: 2016/11/10
  • メディア: 単行本
 

 

職業は忍者

東京の山奥に移り住んで、忍者を生業にしようとしている人の話。脱サラして、もともと興味のあった武道の集大成として忍者の道を選んだ、ユニークな経歴。小田原は風魔と呼ばれる忍者一族が北条五代に仕えたと言われているが、真相は不明。なにしろ忍者が、自分たちが忍者である証を残すはずはないのだから。その風魔忍者の後継として、生き方や技術を伝えようとしている。忍者ショーなどではなく、あくまで生き方や考え方を伝えることが中心だという。その点はとても共感できる。

この本では、現代にも忍者的考え方が有効だと言っているが、情報収集とか人心掌握術とか、その通りなのだが、当たり前かなとも思う。著者の甚川さんは実際にお会いしたことがあるが、ユニークな人だ。彼の半生を知るにはいい本だったが、忍者としての哲学を現代に生かすための記載は食い足りない。これからの研究課題なのだろう。もちろん、それは素晴らしいことだが。

職業は忍者: 激動の現代を生き抜く術、日本にあり!

職業は忍者: 激動の現代を生き抜く術、日本にあり!