Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

岩田さん

任天堂の社長で、私にとっては、ほぼ日刊イトイ新聞を通じていつも話を聞いていた、岩田聡さん。2015年に早すぎる生涯を閉じた。その岩田さんの言葉を、糸井さんや宮本さんとの対談などから集めたのが、この本だ。ほぼ日に掲載されたものも多いから、以前読んでいるはずなのに、また読んでも、そうだよね、と頷いてしまう。

「お金はたくさん使えたほうがいい。人がたくさんいたほうがいい。かける時間は長いほうがいいものができる。そんなことはわかりきってますけど、そのわかりきったことをしているうちは、ほかの人と同じ方法で進んでいくだけですから、競争力がないんですよ。でも、これとこれを組み合わせるとこういうことが起こるぞ、っていうのをみつけたときは、それがふつうの人が気づいていない切り口であればあるほど、価値が出てくる。問題となっている事象の根源をたどっていくと、いくつもの別の症状に見える問題がじつは根っこでつながっていることがあったり、ひとつを変えると、一見つながりが見えなかった別のところにも影響があって、いろんな問題が同時に解消したりする」

「だから、宮本さんは、自分がどんなに実績のあるゲームデザイナーであろうと、『お客さんがわからなかったものは自分が間違っている』というところから入るんです」

「お店に来る人がいなければ、どんなにすばらしい商品も売れないように、電源を入れてもらわないと、どんなすばらしいゲームだって遊んでもらえないんですよ」と言って、毎日ゲーム機のスイッチを入れてもらうにはどうすればいいかと考える。それが岩田さんだ。

もちろん、直接は、岩田さんのことを存じあげないが、対談相手の目線、言葉でのもてなし、この本の中での扱い方を通して、みんなが岩田さんを愛していたことがわかるし、その感じが本を読みながら伝わってきて、なんだか、お会いしたことがあるんじゃないかと勘違いしてしまうほど、岩田さんに対する愛があふれている本だ。発想、経営的視点、チームワークとか、いろんなヒントをもらえるほんだけど、何よりも、こんな素敵な人が日本にいて、スーパーマリオの開発者だったり、あの任天堂の社長さんだったりしていたなんて、凄いことだし、今いないなんてちょっと切ない。時々、読み返して元気をもらう本の棚に置くことになると思う。

 

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。

岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。

 

 

折りたたみ北京

タイトルがとても気になる。どんな話なのだろうかと。翻訳の師匠が面白かった本だと挙げていたので読んでみた。副題は現代中国SFアンソロジーだ。編者はケン・リュウ。「紙の動物園」の著者。不見識なことに、中国SFと言われてもピンとこなかった。書店では、中国文学は世界の小説の棚に置かれているので、ほとんど手に取ることがなかったし、SFと中国の組み合わせは考えたことなかった。でも、AIの研究と実用化で米国と争う国だし、キャッシュレス化が日本より遙かに進んでいるし、監視カメラで人間の信用格付けをしている国なのだから、進んだSFがあって当然だ。しかも、今や「三体」が読書人の間でブームになっていて、その一節が、このアンソロジーにも収められている。

それは劉慈欣作の「円」で、秦の始皇帝の面前に、三人組の兵士を一つのユニットとして二進法の発生装置を作り、それを百万ユニット並べて、コンピューターの仕組みを再現する。山形天童の人間将棋のようだ。読んでいて、その迫力が眼に浮かぶ。

また、他の作家の作品も独創的だ。表題の「折りたたみ北京」は、一日を三つに区切り、三階層の国民が暮らす街を描いている。また、二十億の神様が宇宙船団で地球にやって来てホームステイする話など、本当におもしろい。SFは、「もし○○○が〜だったら」というところから、話が始まるわけで、本当に多種多様な話が展開される。

中国的な要素は、人名や妖怪、民話、自然の風景や、街、軍、政府の描写などに現れる。「1984」の世界が今一番似合うのは中国かもしれない。日本は(日本語で読める本の世界は、というべきか)小説の新大陸を見つけたようだ。

 

 

映画 トイ・ストーリー4

アニメなのに、おもちゃの人形たちが主人公なのに、彼らの物語に感情移入してしまうのはどうしてだろう。もちろん、ディズニー映画で、PIXER製作で、トム・ハンクスなどが声優をしているのだから、当然という考え方もできる。けれど、人間の物語が映画になっているからなんだと思う。

今回、ウッディは出番が少なくなってあせっていた。それでもキッズ(ご主人かな)に対する忠誠心はすばらしい。ボニーが手作りした、お気に入りのフォーキーを献身的にサポートする。自分の居場所を作りたいのかもしれない。ずるがしこいギャビー・ギャビーにまでもウッディはとことん優しくしてやるんだね、自分を犠牲にしてまでも。

でも、最後はいつもと少し違っていた。自分のために選択したし、おもちゃ代表の座を降りて、代替わりを受け入れた。

この映画を人間の俳優で、今の時代に制作したって誰も見ないのかもしれない。しかし人間はあまり変わらないから、求めている物語もそれほど変わらないだろう。語り口を変えたり、時代や設定を変えて、伝わりやすいものにしようという工夫のひとつがアニメなのだ。CG技術の進歩と、一流俳優のアフレコで、アニメは命を吹き込まれる。さらにトイ・ストーリーの主人公たちはおもちゃであるがゆえに、人間らしさをひたすら目指すCGとはゴールが違ってくる。おもちゃらしい質感なのに、感情が宿っている。そう思える。

ウッディの幸せを祈るばかりだ。

https://www.disney.co.jp/fc/toystory.html

燃えつきた地図

ある日、姿を消した夫を探してほしいという妻からの依頼を受け、興信所の所員である「私」は妻に話しを聞きに出向く。何を聞いても、妻は、手がかりになるようなことはたいして話してくれない。弟にまかせてある、といいながら、その弟にはこちらから会えないというようなことを言う。しかたなく少ない手がかりで調査を始めると、行く先行く先に、その弟が先回りしている。調べてほしいといいながら、何かを隠そうとしているのか? 疑念を持ちながら調査を進めると、その弟は殺されてしまう。夫の部下だった男に話をきくと、あれこれ自分から話したあげくに、それは嘘だったといい、その部下は自殺してしまう。そして、私は手がかりを求めて、出かけた先で暴漢に襲われ・・・。

たしかだと思っていたものは、ただの思い込みだったのかもしれないと思い始めるところから、私は、自分自身が何者なのか、言い切ることができなくなる。知っているはずの場所へ行っても、そこには自分の記憶とつながるものは何もない。自分はだれかも思い出せなくなる。私は探す人なのか、探されている男なのか。

確かだと思っていたことが、ふと疑問をもった瞬間から、すべてが夢の中のような、つかみどころがないものになってしまう。自分を定義していたはずのものがぐらついてしまうと、自分は主観だけになってしまう。現実と妄想ははっきりと線引きできないのだ。かつての日本人作家の小説には、そうした視点が入っているように思う。芥川龍之介にしても、内田百閒にしても。主観だけになるということは、おそらく精神に失調を来した状態だということだ。悩めば悩むほど、泥沼の中に入っていくことになるのだ。自分とは何者なのだろうか。

 

燃えつきた地図 (新潮文庫)

燃えつきた地図 (新潮文庫)

 

イタリアン・シューズ

フレドリック・ヴェリーンはかって医師だったが、本人が言うところの大惨事(カタストロフ)のせいで仕事を辞めて、子どものころ家族と暮らしていたスウェーデンの小さな島で一人暮らしをしている。犬と猫がいるだけで、その島には他に誰も住んでいない。郵便配達人が舟に乗って定期的にやって来るが、挨拶を交わすだけで一度も家に招いたことはないし、来客はまったくない。それなのに、冬のある日、家の前の凍った海の上に一人の女性が倒れていた。フレドリックは救出に向かう。それはかつての恋人で、彼が37年前に黙って彼女の元を立ち去って以来の再会だった。

かつての恋人ハリエットは「人生で一番美しい約束を果たして」と迫る。彼女は余命幾ばくもない病気に冒されていた。その約束とは、彼が幼い頃に父親と出かけた湖を彼女に見せること。本当は何が望みなのだろうかと訝りつつ、フレドリックは彼女をつれてその湖に向かう。すべてを拒絶して、世捨て人のようにこの島で12年間暮らしてきたフレドリックの人生が動き始める。そして、彼の人生の謎を解き明かすように、さまざまな女性が登場する。

ミステリー作家として知られるヘニング・マンケルの、ミステリーのような、恋愛小説のようなストーリー。タイトルのイタリアン・シューズは、ハリエットが靴屋に勤めていたことがきっかけになって、物語の最後にも関わってくる。『足に合わない靴は(いつまで待っても)合わない』『靴が足に合うとき、人は足のことを考えない』といったことばも出てくる。

過去を振り返るとき、30歳は30年分を、そのときの自分にとっての意味合いとして解釈する。60歳なら60年分を、そのときの視点から解釈する。過去に起こった出来事は変わらないのに、解釈が変わる。自分の思いが変わるし、文脈が豊かになっているからだ。老化も思考に影響を与える。自分が終わらせようと思っているようには人生は変わらない。それは、それほど悪いことではないだろう。

イタリアン・シューズ

イタリアン・シューズ

 

 

講演会 宇宙についてのあれこれ

今回は本でも映画の話でもない。知り合いの会社で、宇宙業界の人が話しに来てくれるというので、参加させてもらった。そのときのメモだ。

講師は小林さんという女性で、ベストセラーマンガ「宇宙兄弟」の監修もされた方(巻末にお名前が載っていて、マンガの中にも描かれている)。以前、JAXAで働いていたが、今はJAXAからスピンアウトした民間の会社「有人宇宙システム」に勤めている。この会社はISSに向かう宇宙飛行士の滞在支援の他に、スペースXやボーイング製ロケットの安全審査などをしているそうだ。彼女は日本人宇宙飛行士のサポートを担当している。

今はスペースシャトルのミッションがないこともあり、NASAではなくロシアの宇宙ステーションに行くことが多いそうだ。カザフスタンのバイコヌールにあり、広大な敷地の中に、発射台が50カ所あって、人工衛星などのロケットがかなりの頻度で打ち上げられているという。カザフスタンの気温は、-50℃から+50℃まで変動する厳しい気候だ。それでも、ここに発射基地を置いているのは、雨がほとんど降らないため、365日ほぼ毎日打ち上げができるからだという。あまりに頻繁にロシアに行っているために、時々アメリカに行くことになると、空港の税関で必ず個室に連れて行かれるそうだ。

ロシアのロケットは、ソユーズというV2ロケット。過去の話だと思っていたら、ロシアはずっと同じシステムのロケットを使っているのだという。1800回打ち上げられており、そのたびにバグの修正をしてきたので、いわゆる「枯れたシステム」で故障がなく盤石だそうだ。なぜこんなに長持ちしているかというと、V2ロケットを複数台連ねて飛ばす、クラスターロケットという技術を作りだしたからで、月やISSに行くには充分な推進力が得られている。一回の打ち上げは約50億円かかるらしい。

ロケット発射の際には、発射台まで、なんと鉄道で、横倒しにして運ばれるのだという。ロケットという超精密機械を横倒しにするなどということは、NASAの人間は思いもしないそうだ。枯れたシステムの信頼性がなせる業なのだろう。そして、ロケットを先導するように犬が歩いてくれるのだという。爆弾探知犬なのだそうだ。バイコヌールの基地は、あのガガーリンが打ち上げられた場所で、その頃からの施設もまだ使われてるという。近くに寄って見るとかなり老朽化が進んでいるのがわかるそうだ。そして、この基地から打ち上げられる宇宙飛行士は、今もガガーリンが行ったのと同じ儀式を行うのだという。髪を短くするのもそう。宇宙飛行士は体重制限もあり、私物は1.5キロまで持ち込めるそうだ。

宇宙飛行士のミッションは分刻みで予定が組まれている。ISSは地球を90分で一周するため一日16回、日の出を迎える。規則正しい生活をするために、GMTを基準として24時間のタイムラインで生活するのだという。基本は一日3食。忙しくて昼食が食べられないことも多いという。ロシアの宇宙飛行士は缶詰の食料が多いそうだ。持ち込みが許可された私物として、好きな食べ物(もちろん宇宙食)を持ち込む宇宙飛行士も多いそうで、日本製の宇宙食、特にカレーはおいしいと評判らしい。ISSでのミッションの際に他の宇宙飛行士になにか頼み事をするときに、この食べ物が効果的だそうで、日本食は有利な取引(!?)の対照になるらしい。

ミッションがいくら忙しいといっても、夜間と週末は休みになる。その時間を利用して写真を撮る人も多いという。しかし、ISSは高速で飛んでいる。ISSから地球を撮影するには、流し撮りの技術が求められる。それでも、上手に写真を撮る宇宙飛行士がいるそうだ。宇宙飛行士ではないが、NASA専属のカメラマン、ビル・インガルスはロケット発射のシーンなどを数多く手がけている。

宇宙飛行士が船外活動をするために、宇宙服を着てISSから宇宙空間に出ると、落ちていく感覚になる人が、かなりの割合でいるという。そしてそれは、地球での訓練時には判明せず、宇宙空間に出た瞬間に初めてわかる。落ちていく感覚になる宇宙飛行士の場合は、常に不安になりながら船外作業をすることになるので、かなり辛いそうだ。宇宙服は、小さな宇宙船なのだという。一着何億円。ヘルメットのバイザーは金でコーティングされているそうだ。

宇宙ステーションで出たゴミは、どうするのだろうか。答えは、ISSに物資を運んできた無人の補給船が帰還するときにゴミを詰め込むのだそうだ。そして、補給船は大気圏で燃えつきる。地球に帰還することはない。

それから、小林さんの失敗談を。あるとき、自分の携帯にアメリカの電話番号から電話がかかってきた。しかし、末尾になんだがおかしな数字があるということで、ヤバい電話だと思って無視したのだという。ところがそれは、ISSに滞在中の若田船長からの電話だったというのだ! ISSの電話は、アメリカ国内の局番らしい。それからしばらく彼女は、若田さんからの電話を無視したスタッフとして有名になったらしい。

 

RUN AWAY

サイモン・グリーンは、セントラルパークの中にあるストロベリーフィールズで歌っている、ストリートミュージシャンをじっと見ていた。ギターも歌もあまりに下手で、ギターケースにコインを入れる人は多くない。汚れた服を着ている、そのやせっぽちの少女はホームレスのようだ。サイモンは、真剣に彼女の歌を聴いていた。彼女は数ヶ月前に家出した長女だったからだ。歌い終えた彼女に声をかけると、若い男が割ってはいった。サイモンは、その男を殴り、警察に逮捕される。そのときの映像を誰かがインターネットに投稿し、騒動になっていく。しばらくして、サイモンを警官が訪ねてくる。そのときの若い男が殺されたのだ。

SNSや遺伝子解析やハッカーが登場し、いままさに、そういうことってあるかもしれないと読者に思わせる。最後まで、予想を裏切りながら、ストーリーが展開していく、ページターナーな小説。邦訳も出る予定のようだ。

 

Run Away

Run Away