Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

燃えつきた地図

ある日、姿を消した夫を探してほしいという妻からの依頼を受け、興信所の所員である「私」は妻に話しを聞きに出向く。何を聞いても、妻は、手がかりになるようなことはたいして話してくれない。弟にまかせてある、といいながら、その弟にはこちらから会えないというようなことを言う。しかたなく少ない手がかりで調査を始めると、行く先行く先に、その弟が先回りしている。調べてほしいといいながら、何かを隠そうとしているのか? 疑念を持ちながら調査を進めると、その弟は殺されてしまう。夫の部下だった男に話をきくと、あれこれ自分から話したあげくに、それは嘘だったといい、その部下は自殺してしまう。そして、私は手がかりを求めて、出かけた先で暴漢に襲われ・・・。

たしかだと思っていたものは、ただの思い込みだったのかもしれないと思い始めるところから、私は、自分自身が何者なのか、言い切ることができなくなる。知っているはずの場所へ行っても、そこには自分の記憶とつながるものは何もない。自分はだれかも思い出せなくなる。私は探す人なのか、探されている男なのか。

確かだと思っていたことが、ふと疑問をもった瞬間から、すべてが夢の中のような、つかみどころがないものになってしまう。自分を定義していたはずのものがぐらついてしまうと、自分は主観だけになってしまう。現実と妄想ははっきりと線引きできないのだ。かつての日本人作家の小説には、そうした視点が入っているように思う。芥川龍之介にしても、内田百閒にしても。主観だけになるということは、おそらく精神に失調を来した状態だということだ。悩めば悩むほど、泥沼の中に入っていくことになるのだ。自分とは何者なのだろうか。

 

燃えつきた地図 (新潮文庫)

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