Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

マンガ聖書物語 旧約編

物語としてはこちらの大河ドラマぶれがなかなかすごい。それでも、全編を通して語っていることは、愚直にわたし=神を信じなさい、ということ。他の神は邪教で、またしても、邪教の信者は神の不思議な力によって、殺すことをいとわない。こざかしい考えで、浅はかなことをするなよ、というメッセージはわかるが、いつ、何をすればいいのかまでも神が預言者を通じて教えてくれるのを待たなければいけない。それが本当に人間として生まれてきたことの意味なのだろうか。神を信じていれば、それでいいのだと言われて、信者になる人たちは、私のような凡人とは人生に対する考え方が根本的に違うのだと思う。

マンガ 聖書物語〈旧約篇〉 (講談社+α文庫)

マンガ 聖書物語〈旧約篇〉 (講談社+α文庫)

 

 

マンガ聖書物語 新約編

西洋文化を知るために時々読み返す本だ。いつもは大きな流れを理解するだけで、細かなことは覚えきれないのだが、今回は気になるところがあった。それは、イエスが無実の罪で糾弾され磔刑で殺されてから、その弟子たちが各地で伝道をする際、民衆たちは「罪人の教えだ」といって非難しているところ。民衆は、どんな経緯で罪を負わされたのかなどは考えない。王権力に逆らったことが悪いことなのだ。どちらが正しいかと立ち止まって考えない。これは現代も変わっていないことだなと感じた。多くの人間は自分では考えないのだ。それともう一点。神の教えを信じない人たちは、あっさりと殺されている。それが神の不思議な力によってだとしても。異教徒を殺すことはそれほど悪いことだとは考えないのだろう。

マンガ聖書物語<新約篇> (講談社+α文庫)

マンガ聖書物語<新約篇> (講談社+α文庫)

 

 

この英語、訳せない!

翻訳家の越前さんの本。日本人なら必ず間違う英語とかの本も書いていらっしゃる方で、ダン・ブラウンのシリーズを翻訳されている方というほうがわかる人が多いかもしれない。英語と日本語は構造が違うので、文章の単位で考えると、まったく等価の意味合いを持つように訳す事はできない。近頃は、英語で描写されている「絵」を思い浮かべ、その絵を日本語で訳すことが翻訳だ、という言い方をする場合もある。日本語読者の頭の中に、英語の読者が思い描いていた絵と同じ絵が浮かぶように翻訳する、ということだ。理屈はわかる。が、なかなか難しい。この本の帯に書いてあるみたいに、「head」=「頭」ですまないことの方が多いかも。顔とか首という日本語の方が近いことが多い。そんな例を紹介している本だ。

この本で紹介している英語には、私が翻訳する時にも悩んだことのある単語がいくつもあった。それでも、文脈が違えば日本語表現は変わるから、この本を辞書のように使うことはできない。翻訳というものは、一筋縄ではいかないよ、ということなのだ。わかっているけどね。それでも時々、このようにまとまっていくつもの例を読むのは面白い。

この英語、訳せない!  headは頭?顔?首?

この英語、訳せない! headは頭?顔?首?

 

 

西太后秘録 上下

西太后については、側室から清王朝の女帝にまで上り詰めた人ということ以外はほとんど知らなかった。が、中国の近代化に大きく舵を取ったキーパーソンだったことがよくわかった。頭が良く、政治的な駆け引きにも長じていて、長く政権を実質的に支配していた。当然、そうした人物はねたまれる。暗殺も計画される。大切な人を嵌められる。一番の部下を殺される。日新戦争の時は、実質的な権力を奪われていた時だったから、清国は不当な要求を呑まされた。この人が実権を握っていたならば、歴史は大きく変わっていたかもしれない。さらに晩年は漢民族支配の新王朝の中で、満州民族出身ゆえに、自分の死後は満州民族が殺されることを怖れ、先に手を打つ。女性ゆえに、少数民族ゆえに、歴史から葬られた偉大なる女傑の生涯の物語は大河のように流れた。

 

西太后秘録 上下巻合本版

西太后秘録 上下巻合本版

 

 

ひみつのしつもん

翻訳家、岸本佐知子さんのエッセイ。この人の、ちょっと不思議な角度に突き進むものの見方とそれをあますところなく文章にする力には本当に感服する。こんな人がいるんだな、と感心する。題材はもしかしたら、私も同じような気づきをする事柄かもしれないが、日常の何かを起点にした、そうした発見をどこまでも、あらぬ方向へと広げて行く。読後感は、うーむとしかいえない。狐につままれるというのはこういうことか。

一行目からいきなり、ぐいっと異世界へ連れて行かれる。星新一ショートショートのように。日常生活のどこにでも、ちいさなささくれのようなものが、なぜかこの人の想像力を大いに刺激し、ものすごい勢いで妄想の世界へ向かって暴走する。妄想だとわかっているのに、緻密な言葉で描写されたリアルな世界の立て付けに感心していると、セットは崩れ、舞台は暗転。またもまんまと騙されたと、悔しいけれど嬉しくなる。なんなんだ、この作家は!と思わせておいて、本業は翻訳家なのだ。どこまで小馬鹿にするのか!と思いつつにやにやしてしまう。

言葉の選び方、適切な運用能力がはんぱない。英語と日本語の間をいったりきたりする翻訳家であるがゆえに鍛えられたものなのだろうけれど、日常のちいさなほころびを逃さず、大事にしてしまう妄想力は、幼少の時から培ってきたものなのだろう。いやはや。なんとも楽しい本だ。

ひみつのしつもん (単行本)

ひみつのしつもん (単行本)

 

 

ちいさなのんちゃん

これは幼い娘を激愛する母親の日記のような漫画である。わたしにはわからないことも多いが、子どもを持つ親なら、あるあるネタのオンパレードに違いない。漫画家の母親は可愛くてしかたのないわが娘を見ながら、自分の幼い頃の記憶を重ね、漫画家らしい妄想を膨らませ、ついつい余計なことをしてしまう。その娘はアイドルのような、俳優のような立派な娘に成長したのだから、育て方は間違っていなかったのだろう。わたしは、作者の手書きの文字を懐かしく思いだしながら、同じ学科の大学生だったころ頃からなにも変わっていない作者にただただ感心するばかりである。

NNH publishing 2019年

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ちいさなのんちゃん NNH publishing

 

もしもし下北沢

主人公のよしえは、父を亡くしたばかりだ。父はどこかの女の人から無理心中の相手にさせられ、突然死んでしまった。母と父と三人家族だったが、突然の出来事に自分も母も茫然としたままどうしていいのかわからない日々が続いた。よしえは、自分を立て直すために、親子三人で住んでいた目黒のマンションから下北沢のアパートに引っ越し、一人暮らしを始める。その、古い小さな部屋に母親が転がりこんでくる。あのマンションにいると父の幽霊を見るからと言って。親離れをしようという、よしえの思惑は外れるが、母もまた、自分の人生を自分の手に取り戻そうとしていだのだ。そしてふたりは下北沢の街になじんでいくなかで、自分の人生を取り戻していく。

言葉にならない気持ちや思いは、いつもある。それは言葉として定着してしまうと、何か違ったものになってしまうから、言葉にせずに胸に留めておく感情がある。そしてだんだん薄れていってしまうのだ。ところが、この本には主人公の、感情の起伏が丁寧に的確な言葉ですくい取られている。心の波立つ感じまで、しっかりと表現されている。すごい作家だ。本当にびっくりした。もの凄い色数の色鉛筆セットを見るたびに、誰がこんなものを使うのだろうと思っていたけれど、よしもとばななは、何百色という色をしっかりと使い分けて描いているようだと思った。

なくなった親のことや、飼っていた犬のこと、失恋のことなどを思い出す時、切なくて悲しくて、どうにもやるせない、感情の塊が胸の中に今もあるのがわかる。それは、ずっとそのことを考えていると濃縮スープを溶かした時みたいに、だんだんと、その当時のリアルな感情が甦ってくる。この小説は、そんな感情を呼び起こすきっかけとなる表現が一杯つまっている。

下北沢にはときどき行くだけで、街の詳細はよく知らない。しもきたをよく知っている人はさらに別の楽しみ方もできるのだろうなと思った。

もしもし下北沢 (幻冬舎文庫)