Life and Pages

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もしもし下北沢

主人公のよしえは、父を亡くしたばかりだ。父はどこかの女の人から無理心中の相手にさせられ、突然死んでしまった。母と父と三人家族だったが、突然の出来事に自分も母も茫然としたままどうしていいのかわからない日々が続いた。よしえは、自分を立て直すために、親子三人で住んでいた目黒のマンションから下北沢のアパートに引っ越し、一人暮らしを始める。その、古い小さな部屋に母親が転がりこんでくる。あのマンションにいると父の幽霊を見るからと言って。親離れをしようという、よしえの思惑は外れるが、母もまた、自分の人生を自分の手に取り戻そうとしていだのだ。そしてふたりは下北沢の街になじんでいくなかで、自分の人生を取り戻していく。

言葉にならない気持ちや思いは、いつもある。それは言葉として定着してしまうと、何か違ったものになってしまうから、言葉にせずに胸に留めておく感情がある。そしてだんだん薄れていってしまうのだ。ところが、この本には主人公の、感情の起伏が丁寧に的確な言葉ですくい取られている。心の波立つ感じまで、しっかりと表現されている。すごい作家だ。本当にびっくりした。もの凄い色数の色鉛筆セットを見るたびに、誰がこんなものを使うのだろうと思っていたけれど、よしもとばななは、何百色という色をしっかりと使い分けて描いているようだと思った。

なくなった親のことや、飼っていた犬のこと、失恋のことなどを思い出す時、切なくて悲しくて、どうにもやるせない、感情の塊が胸の中に今もあるのがわかる。それは、ずっとそのことを考えていると濃縮スープを溶かした時みたいに、だんだんと、その当時のリアルな感情が甦ってくる。この小説は、そんな感情を呼び起こすきっかけとなる表現が一杯つまっている。

下北沢にはときどき行くだけで、街の詳細はよく知らない。しもきたをよく知っている人はさらに別の楽しみ方もできるのだろうなと思った。

もしもし下北沢 (幻冬舎文庫)