Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

東京ラブストーリー

最近、このドラマの再放送があり、久しぶりに観た。織田裕二鈴木保奈美が出演する新ドラマがもうすぐ始まるから、ということらしい。1991年のドラマなのだが、当時テレビ放送があったときはリアルタイムで観ていなかった。後から、ビデオを借りてきて観た覚えがある。で、再放送を観ていて思ったのは、以前はよく理解できなかった赤名リカが一番愛おしいなあということだった。カンチも関口も自分のことしか考えていないのに、リカは一生懸命に考えている。彼女の表現方法がわかりにくいから、カンチには伝わらなかったのだと思っていたけれど、いや、わたしがオッサンになったからだろうけれど、リカの表現は、思いの裏っ返しだとしても、とてもわかりやすいではないか! と感じたのだ。
で、原作のマンガをはじめて読んでみた。テレビとはまったく違っていて、カンチも関口も三上も生い立ちも含めてよく理解できる。むしろリカは三人のドラマのジョーカーとして位置づけられていて、感情移入しにくい。テレビとはまったく別物だった。このマンガを読んで、あのテレビの脚本を書いた人はすごいなあと感心した。テレビは鈴木保奈美とその仲間たちのドラマだったが、原作はカンチとさとみの物語だった。
マンガの中に「リカは東京のようだ」という台詞がある。地方から上京してきた若者にとって、東京という街はきらびやかで、何が起こるかわからなくて、つい無理してしまうような場所だと勘違いしてしまうのは、わたしも地方出身なのでよくわかる。そうなると、タイトルは東京という場所ならではの恋物語という意味があったのだろう。地元ではみたことのないような、美人で奔放な女の子が眼の前にいる。同じ年頃なのだし、そんなに自分とは違うはずはないのに、東京という場所なのだから、そういう女の子もいるに違いないと決め込んでしまう。そこから気持ちがずれてしまい、眼の前の相手の本質を見失ってしまう。今の20代くらいなら、そんな幻想を抱くことはないのかもしれない。でも、1990年頃は、バブルもあったし、東京はそんな場所だった。あの時代の東京に出てきた上京物語としてはみごとに成立している。原作は登場人物たちの想いを書き込んでいて、テレビドラマは迷いと時代のエネルギーを書き込んでいて、どちらも時代を捉まえている。

東京ラブストーリー 上 (文春文庫 さ 25-5)

東京ラブストーリー 上 (文春文庫 さ 25-5)

嫌われる勇気

話題の本を読んでみた。アドラー心理学の紹介を対話形式で展開していく。最初は、聞き手を話したい内容を説明するために、都合良く設定しているなあ、と思っていたが、読み進むにつれて、それはあまり気にならなくなってきた。そもそも、ソクラテスプラトンの対話になぞらえて、構成しているのだとわかったからだ。
アドラーの名は、大学生の頃から知識として知ってはいたが、それ以上のものではなかった。今回読んでみて、よくわかった気がする。自分自身がいつも、人間関係を縦の関係としてしか考えられない人が多いよなあと感じていたし、自分はそうしたくないと思っていたので、とても共感できた。ただ、社会に貢献していると実感することはなかなか難しい。どこかの議員さんみたいに生産性が高いとか低いとかいうつもりはないが、「社会」というくくり方が難しい。社会貢献がビジネスの世界でも流行っている今となっては特に。
表紙のサブタイトルには自己啓発の源流と書いてあるが、世間で言う自己啓発とは反対に近いのではないだろうか。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

罪人のカルマ

ミステリー好きの間では話題になっていた作家で、この本はシリーズの6作目なのだが、はじめてこの作家の作品を読んだ。本編が650ページ以上もあるのにまさにページターナーというべき本で、先が気になって、どんどん読みたくなる。40年前の事件と現在の事件との話が並行して進む。過去のストーリーのパートが充実していて、現在のストーリーはちょっと弱い印象があるが、過去のパートで明らかにされることが、シリーズ6作を続けて読んできた読者には大いなる謎解き、カタルシスになるということらしい。
それでも、この本だけを読んでも充分に面白かったが、せめて前作は読もうよ、と言われていて、近々読むことにしたい。
過去パートは1970年代、女性警官がアメリカの警察で(正確に言えばアトランタ警察で)どのように扱われていたか、という記述がこの本の特徴の一つでもある。たかだか40年前、女性は本当に不当な扱いを受けていた。そして今は、少しはましになったのか? 一方で、日本はどうだろう。40年前から何も変わらずに、根拠のない差別が続いているのではないだろうか。
現在と過去の二つの時間軸で物語が進んでいく小説は多くなってきたし、最後の最後にどんでん返しがあるのもお決まりのパターンではあるけれど、それがわかっていても、本当に面白かった。残虐なシーンが多いのもいまどきのミステリーなのかも。

罪人のカルマ (ハーパーBOOKS)

罪人のカルマ (ハーパーBOOKS)

映画 プーと大人になった僕

「仕事があるから戻らなきゃ」「それは風船よりも大切?」そんな会話を予告編で観て、とにかくこの映画を観なきゃ!と思って観にいった。悪くない。ぬいぐるみのプーとユアン・マクレガーのやりとりはストーリーを展開させていく上で無理なく観られた。この辺は凄いなあ。さすがはディズニー映画。ジーンとくるシーンもあった。号泣はしないけれど、じーんと切なくなった。
で、観終わった後、もう一度考えてみた。なんでこの映画を観たかっんだろう?癒やしとかいうのは好きじゃないけど、自分自身を認めてもらいたい気持ちがどこかにあったのだろうか。そうかもしれない。そのことは認めてしまおう。でもそれだけか。以前エジンバラで宿泊していたホテルの前にあった劇場で、美女と野獣のミュージカルを観たのだけれど、そのときも、なんだかじーんとしたのを覚えている。感動!とかいう大きな心の変化ではなく、そよ風が吹きわたったようだった。そのことを潜在意識くんが覚えていて、そんなそよ風に出会いたくなっのかもしれない。
もう一つ、いま思いついたのは、ユアン・マクレガーの切ない表情だ。ライアン・ゴズリングの切ない顔も大好きなのだが、俳優さんの切ない顔が好きなのかもしれない。
https://www.disney.co.jp/movie/pooh-boku.html

映画 カメラを止めるな!

話題の映画がついに地元にやってきたので行ってきた。なんとなく耳に入っていたコメントと一緒で、最初はなんだこれ、と思っていた。その後次第になるほどね、という気分になってくる。しかも低予算だと聞くと、たいしたものだと感心することしきり。この手があったか、というアイデアで面白かった。映画好きの監督が映画でしかできないことをやりきった!
http://kametome.net/index.html

遠雷

1980年の小説。たしか映画を観た覚えがあるが、小説を読むのははじめてだ。ある時代の日本の地方都市の生態をしっかりと切り取っていて、作家の力量を強く感じる。経済成長の波に飲み込まれて、代々続く農地を高値で売り払い、にわか成金になったいくつもの家族の生活がすっかり変わってしまう。主人公の満夫は、林立する団地のそばに残った小さな土地にビニールハウスを建てて、トマト栽培をしている。毎日、毎日収獲しては農協に持って行くが、夏になるとトマトの生育が早くなり、売れ残る前にさばこうと団地で販売をはじめる。
土地を売った金で建て換えた家は、やたら大きく、開けたことのない部屋さえある。父親は金を持って出ていき、女と暮らしはじめる。農地をなくし、働く場をなくした母親は建築現場に日雇いで出かけていく。親友の広次も工事現場で働いている。祖母はぼけはじめている。兄は家を出ていったが、自分の家のローンを払うのに、親父が手にした金の一部をあてにしている。団地にできたスナックでは、主婦が交代で店番をしている。暇を待て余した主婦と、わかい満夫と広次。日常の中から生まれる事件。この小説には通奏低音のように絶望感がずっとつきまとう。
日本中の市町村が一億円という地方創生交付金をもらって、血迷ったのは1988年から1989年のこと。土佐の町では、鰹の純金像を造り、盗まれた。山梨の町では、日本一長い滑り台を作り、三日後に日本一でなくなった。青森の村では、自由の女神像を建てた。緯度がアメリカの自由の女神像と同じだからということで。
この物語の舞台は千葉だ。都会と田舎の両方を感じる場所。貧乏生活とあぶく銭。農地が住宅地になっていく時、人々の暮らしは変わる。価値観が変わる。考えたこともなかった大金に翻弄される。発表されてから、30年近くたって読むと、これは日本特有の話でもないのだと感じる。単調だと思っていた人生が、お金によって狂わされる。金とは無縁の農家の生活で、あきらめ続けていた人生をあぶく銭で取り戻そうとする。自分は何をしたい人なのか。その問いは、どんなときも、どこの国に住んでいても、いくつになっても、なにか人生の節目のような時に問われることなのだ。満夫は優しい。が、流れには逆らえない。シーンの最後に響き渡る遠雷は何を象徴しているのだろう。新たな不安を予告する雷鳴なのか。雨を降らして、通り過ぎていくだけなのか。雨降って地固まるとでもいいたいのか。まもなくやってくるのは、新たな不安なのか、それを通り越した後の淡々とした日常なのか。
遠雷 (1980年)

看る力

阿川佐和子さんが大塚宜雄という老齢者向けの病院の院長との対談。阿川さんは、いまも母上の介護を続けていて、その暮らしの中で感じたこと、学んだことを話しているが、前向きで明るいことが大切だと何よりも感じる。母上のことが本当に好きなのだと思うし、それ故に介護をずっと続けていられるのだと思う。対談の中からさまざまな明言が飛び出す。観察、実体験を元にした真実なのだと思う。「好物は喉につまらない」「長期戦だから60%できればいいくらいのつもりで」「孤独死はわるいことではない」「高齢の男性は何歳の女性に対しても恋心をいだくが、高齢の女性は若い男性に対してだけ」「男は社会とのつながりを失うとぼけやすい」など。老後こそ、金が必要だというのは、誰も語らないが重要な真実だと思う。

看る力 アガワ流介護入門 (文春新書)

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