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翻訳の授業

翻訳学についての本であり多くの気づきを得た。翻訳のシンポジウムなどでは、原書で描かれた「絵」を日本語で描き、同じ絵を示す事だという趣旨の話を聞く。原理としてはわかっていたが、この本では原書で書かれていた「現実 IDEA」を日本語で再現するという言い方をしており、元の言語と翻訳された言語につながりは必要ない、と明快だ。その際に、両言語に似たような表現の仕方があればいわゆる直訳的なものに見えるし、なければ意訳とよばれる表現に見える。意訳か直訳かという議論は意味がない。まず「意味」があり、それを伝達するために、たまたまなんらかの言語が用いられ、その言語固有の文法形式や語彙が選ばれて発話がなされる。とても共感できる。

またも翻訳の素材も文学的なものとそうでないものとをわけて考えられており、そうでないものは、通訳に近く、さのうちAIで代替されるだろうというのも頷ける。

西洋の言語は、構造的に似たものが多いためか、直訳がよしとされるようだが、それは旧約聖書がそもそもアラム語ヘブライ語などからギリシャ語に翻訳されたものをオリジナルであるとしているため、古代語のバージョンは神の語に近いと考えられており、それに近づけたいからだろうという考察にはなるほどと思わされた。日本での翻訳は、直訳か意訳かという考え方が今でもまだ聞くことがあるが、ある時代の直訳派は、英語の構造もできるだけ直訳するのが良いと考えていたようで、それが日本語とは呼べない独特の英文解釈語を作ったようだ。とはいえ、この本では言及されていないが「ところのもの」方式の翻訳は漢文の解釈の応用だと私は思う。そこには、古くは中国、その後はオランダ、ポルトガル、ドイツ、イギリスになど、西洋礼賛(そして日本独自のものを下に見る)思想が根強くあり、現在にも細々とつながっていると感じる。

翻訳の授業 東京大学最終講義 (朝日新書)

翻訳の授業 東京大学最終講義 (朝日新書)

  • 作者:山本 史郎
  • 発売日: 2020/06/12
  • メディア: 新書