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映画 羅生門

この映画を観たのは何回目だろうか。年末にWOWOW三船敏郎特集をやっていたので、録画して観てみた。映像がきれいだ。三船が生き生きとしている。京マチ子が美しい。志村喬、千秋稔、安心して観ていられる。そして、ストーリーの謎が残る。古くならない映画だ。

当事者が三者三様に、三つの真実が語られる。どれが正しいのか、検非違使は判断を下せなかった。唯一の目撃者が、下人に問われ四つ目の真実を語るのだが、すべてを語ったわけではなかった。短刀を盗んだことは口をつぐんでいたのだが、それを下人に指摘されてしまう。

これは法廷劇の一種なのだ。当事者が弁明し、証人が証言をする。そして判事が嘘を看破する。それなのに、判事の役割を果たした下人は捨て子の身ぐるみを剥いでしまう。それを見て誰も信じられないと旅法師言う。が、目撃者であった杣売りは、捨てられた赤ん坊を自分の子供と一緒に育てると言って、雨上がりの道を歩いて行く。僧は自分の思い込みを恥じ入る。

最後のくだりは、とってつけた感が否めないが、そのことによって、真実というものは一つではないとより思わせる。普通に生活していく上では真実というものは事実とほぼ同義であり、一つしかないものだと思う。けれど、人と人が深く関わり、込み入った状況になった場合は、それぞれに真実があっていいのではないか。誰もが嘘をついているということではなく、自分にとっての真実があるのではないだろうか。