Life and Pages

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映画 天気の子

昨年話題になっていた映画をwowowで観る。評判通り、映像は素晴らしく、登場人物も愛せる人たちでかわいいし、歌もよかった。私はこうしたSFのようなファンタジーのようなストーリーは嫌いじゃない。

でも、主人公の少年が最後に言う言葉には共感できなかった。

ヒロインは15歳。結界に踏み入ったことで、彼女は天気の神様とつながり、念じることでいつでも晴れ間を呼ぶことができる力を得た。しかしその力を使うたびに、彼女の体は雨水に置き換えられていき、ついには透明になって消えてしまう。天に召され、人身御供となったのだ。それによって、雨続きだった東京に久しぶりの晴天が覗いた。しかし少年は彼女を連れ戻すべく自ら結界に入り、天に昇る。そして彼女を連れて地上に降りて来る。彼女を失った天界は、それ以来毎日東京に雨を降らせた。

それから三年が経ち、高校を卒業した少年は、彼女に会うために東京へ戻ってくる。東京の大半が水没し、すっかり様相が変わっていた。坂の上で彼女と再び出会う。そのとき少年が言う。「これは僕たちが選んだことだ。だからきっと大丈夫だ(という意味のことを)」

ボーイミーツガールの物語であり、彼女を救い出すために異常気象を招いてしまっても、それは納得できる展開だ。彼女と二人で地上に戻ってきたときに、そういうのなら「よかったね」と思ったことだろう。

しかし、3年経って、久しぶりに彼女に会ったときに、そう言ってしまうと、今後はもう何も努力せずにのほほんと暮らすという宣言でしかない。3年前に、天に召された彼女にもう一度会いたいという一心で、危険を顧みずに行動した時の君はどこに行ってしまったんだ。自分たちのせいで気象を変えたと自覚があるなら、つまりその力がかつてあったのなら、なぜ現状を何とかしようと考えないのか。スターウォーズだったら、絶対に続編を感じさせる出来事を見せてから終わるところだ。

15歳前後の少年少女には確かに何か特別な力がある。しかし、その時期を過ぎて普通の人間になってしまったところから、本当の冒険は始まるのではないか。途中で、東京はもともと海だったとか、地球の生い立ちの時間から考えると、東京が水没したからといってけっしておかしなことではない、そんなようなことを言う人を登場させている。それはそうかもしれないが、二人の主人公のドラマはそんな、不都合な真実を無視するような認識で終わっていいわけがない。なんとも気持ちが晴れない映画だった。