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翻訳─訳すことのストラテジー

翻訳論にはあまり関心がなかった。欧米語間の翻訳と、欧米語から日本語への翻訳を同義に論じられないだろうなと漠然と思っていたからだ。それでも、大学の外国語学部では、翻訳論は人気だと聞いたことがある。抽象的なところで、くくることができれば、何かを語ることはできるだろうとは分かっていたが。今回、この本を読んで、翻訳という行為については、普遍的に語れることがあるということがよく分かった。

「翻訳とは、意味と呼ばれているものをある言語から別の言語に移すのではない。むしろ、『ある状況において、交換可能な』ことばを見つけるのだ」「翻訳はけっして、ソーステキストのあらゆる要素を厳密に再現するものではない。翻訳にはずれと改変がつきものなのだ。変身(メタモルフォーゼ)であって、複製(コピー)ではない」「訳者が訳出すべき決まったアイデンティティなどどこにもないということだ。翻訳を構成する読解・解釈・評価・換言といった行為はみな、翻訳が表現するアイデンティティを定義する役目を果たす」

「『エジプトの革命の女性のことば』は、Mosireenのようなメディア活動のグループのひとつだ。ビデオにスペイン語字幕がつくとどうしても性差が強調されてしまうのが普通だ。たとえばfriendは、女性形のamigaか男性形のamigoにしなければならない。ゆえに、(彼らは)先入観を与える語末のaとoを中立的なxに置きかえる」

適切な言葉を使うということは翻訳という行為によって自覚的になる。日本人の多くは(おそらく)政治や民族問題やジェンダーを意識することは少ないが、外国の言葉であらわされているものや事象、行為を日本語にして適切な文脈の中に置こうとすると、考えずにはいられなくなる。翻訳は面白いとも、深いとも、怖いとも言える。でも、こうしたことを自覚していることは大切だと思う。

翻訳 訳すことのストラテジー

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