webの記事なのだけれど、しかも昨年読んでいる記事なのだけれど、このタイミングでこの記事を読んだみとについて、記録をしておこうと思った。
「例えば輪廻転生のお話でも、
輪廻転生を徹底的にリアリズムで書いていったら、
ないことになります。
だけど「あったらいいだろうな」という心があって、
「ない」ことを証明する部分を
書かなかったらどうなるか。
上手に小骨を抜くように、
レリーフを浮きあがらせたら、
輪廻転生があるような世界が見えてくるわけですよ。」
この話は凄いなと思った。わたしは現実と異次元がすっとつながっているような話が好きだ。村上春樹とか、内田百閒とか。そうした小説を書きたいとも思っているのだが、こんなふうにそのやり口を書かれてしまった。これは糸井さんの発言だ。
「ところが、
「なかったものを見つけたい人」というのは、
世の中にそんなにいない。
パリに行けばエッフェル塔を見て
「来てよかった」と思う人が多数であるように。」
作家佐藤正午を評して、糸井重里はこういうのである。わたしもなかったものを見つけたい一派にぜひとも参加したい。
「最近思ったんですけど、
ぼくは書くことより書き直すほうが
だんぜん得意なんです。」
佐藤正午はこう言い切る。わたしもコピーライターという職業をしてきたので、書き直すとこは好きだが、こんなにまっすぐ得意と言い切れるだろうか。
「ぼくはいちど書きあげたものを、
「読者」として読んで、
気に入らない部分を書き直したりして
楽しんでいるのかもしれないです。」
作家というものの真実を垣間見た気がした。