Life and Pages

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騎士団長殺し

主人公の私は、肖像画を描いて生計を立てている。突然、妻から離婚を切り出され、あまりのショックにそのまま車に飛び乗って北へ向かう。仕事も辞めて、あてもなく東北を彷徨う。関東に戻ってきた私は、友人の父である高名な日本画家が住んでいた山の上のアトリエで日々を過ごすことになる。屋根裏で見つけた一枚の絵。深夜に聞こえる鈴の音。穏やかな日々はゆっくりと動き出す。現実世界に開いた穴は、現実ではない世界と地続きになり、ぐるりと一周りしてこちらの世界へと戻ってくるのか、違う世界へ連れて行かれるのか。
「私」はメタファーの世界をくぐり抜けて再生する。イデアとメタファーと、謎の言葉と、さまざまなピースが無理なく収まっている。いつものように、意識の底の世界へと連れて行かれた。ときおり、迷信と思い込みを行動原理にするやり方は、神代の国の人々のようだ。セクシャルな生霊も登場する。それもまた再生のメタファーなのだろう。それでも1000ページの物語は、いくつもの謎を残したままだ。続編はきっとあると思う。
「私」は肖像画を描くときに、最初にモデルとなる人に会ったあとは、記憶だけで絵を描きあげる。描画的な記憶力を持つ、内省型の画家だ。言葉は少なく、気がついたことがあっても、あえて言葉にせずにじっと抱え込んでいることも多い。自己の中の深淵に分け入って、なにかを引きずり出し、理解していく人だからこそ、現実とメタファーの世界が地続きになってしまうのだろう。村上春樹もまた同じようにして、自分の中から物語を引っ張り出してくるのかもしれない。その自己の穴の中には、ナチスと日本軍の残虐な歴史がしっかりとあるようだ。
「私」はメビウスの輪のようになった虚と実の通路を辿って再生する。では、彼の周りの人々はどうなのだろう。いっとき、不思議なことを体験してまた元の日々に戻ったのだろうか。「私」の妻は、もとの鞘に収まったのか、それともまた同じことを繰り返すのかもしれないのか。少女まりえは、多感な時期に不思議な体験をしたことを思い出にして、普通の大人の女性になっていくのか。免色は今頃どうしているのか。気にかかる。やはり完結していない物語なのだ。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編