以前からずっとこの本のことは知っていて、でも手を伸ばさずにいた。しかし、今回映画化されることになり、マーティン・スコセッシのドキュメンタリーをTVで観て、映画を観たくなった。そして、この本も読むことにした。
キリスト教信仰を禁止された江戸時代、信徒たちは棄教しなければ、ひどい目に遭うと脅され、実際に多くの人々が殺された。棄教した人(転んだと呼ばれた人)もずっと罪悪感にさいなまれ続けていた。そうした状況を知っていながら、知っているが故に、ポルトガルから若き宣教師が日本にやってくる。欧羅巴からインドへ渡り澳門へ行き、オンボロの船をチたちャーターして、長崎付近に密航してくる。何ヶ月もかけ、死ぬような思いまでして日本へ布教にくる。キリストの苦難を自らの身に重ね合わせ、どんな酷い責めにも耐えうる覚悟でやってくる。しかし、自らのみを捧げることはためらわない彼らだが、自分が転ばなければ、日本人信徒が容赦なく殺される。信仰を広めるために異国に来たはずなのに、彼らを苦しめることになるとは。主はなぜ沈黙したままなのか。
私はフランシスコ・ザビエルが16世紀半ばの日本に布教に来て以来、キリスト教信者弾圧されながらも、隠れキリシタンたちが信仰を続けていたのはなぜかずっと疑問に思っている。この本を呼んでも明確な答えはみいだせなかったが、当時の寒村の農民や漁民の絶望的な暮らしのそばには何ひとつ頼るものがなかったこと。当時の仏教は彼らにとって何の助けにもなっていなかったこと。神を信じることで心の平穏が訪れること。貧民の彼らに手を差し伸べ、連帯感をもたらしたこと。そうしたことが、大きく貢献したのだと思った。
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/10/19
- メディア: 文庫
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