Life and Pages

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忘れられた巨人

カズオ・イシグロの作品は、毎回、スタイルも時代設定も異なる。それなのに、人間を主題にしているので、読後はいつも考えさせられる。今回は、アーサー王が死んだ直後の時代の英国が舞台だ。人々はものごとを長く覚えていることができない。村のルールも、息子の顔も、いつから自分がここにいるのかも。アクセルとベアトリスの老夫婦は、それでも息子の住む村へいくことに決め、かすかな記憶の余韻をたどりながら旅にでる。途中でさまざまな事件にまきこまれながも、人々の記憶を奪っているのは竜のせいだとわかり、竜退治の現場へ同行することになる。竜退治はできたのだが、それがいいことだったのか。なぜなら、良い記憶ばかりではなく、いやな記憶もまた蘇る。戦争の原因となるかもしれないからだ。
運命に翻弄されながら、正しいと思う道をその都度選択しながら進んでいく老夫婦の旅は、人間の人生そのものだ。誰もが、すべての出来事や経験を覚えているわけにはいかない。嫌な思いや辛い思いも忘れているがゆえに生きていけるという面もあるし、また、なんの教訓にもできずに同じような争いを引き起こすのも人間の性だろう。老夫婦は、曖昧な記憶を手がかりに前へ前へと進みながら、二人の絆を強いものにしようといつも心がけている。ふと、相手にいやな思いをさせられたような記憶の気配を思い出すのだが、それでも、信じあうことの重要性は投げ出さずにいる。好き嫌いではないし、愛という言葉で言い表せる感情でもなく、信じるという行為の大切さを信じているのだ。二人は竜を倒した後に、息子が棲んでいるような気がする島へ、二人で行こうとする。その島でいつまでも一緒に生きていくと信じ、船頭に運んでもらうことになるのだが、一度に二人は運べないと言われてしまう。ベアトリスは二人一緒でなければいやだという。アクセルは、島へ行くまでのことだからとベアトリスを見送る。互いを信じあっている二人でさえ一緒にいけない場所。それは人間の一生の終わりの暗示であろう。
敵をやっつける、竜を退治する、息子の村へ行く。どれもその目的を達するよりも、そこに至るまでの道筋が、そこで出会う人との関わりが大切なのだと気づかせてくれる。なんともまた、読後の時間がたっぷりと必要な小説だった。

忘れられた巨人

忘れられた巨人