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映画 ファンタスティックビーストと魔法使いの旅

ホグワースの卒業生がはるばるNYにやってきた。彼は魔法動物を研究し保護している魔法使いで、ある魔法動物を救うためにこの国に来たのだった。ちょうどその頃、NYの街では、魔法使いの府のエネルギーから生まれるという謎の巨大な力が脅威をふるい、ついには人間を殺してしまう。このままでは人間態魔法使いの戦争になってしまうため、善意ある魔法使いがその正体を突き止めようと動き出す。
映像の魅力と魅力的な登場人物による、わかりやすく王道の過トーリー展開。とてもよくできた映画だと感じた。とても楽しめた。
魔法の杖をふるだけで、タイプライターが勝手にタイプをしたり、料理が勝手に作られるシーンを観て、これは陰陽師式神なんだなあと思った。指示通りに主人の手伝いをするというところは同じ位置づけだ。一方で西欧と日本の違いを感じたのは、この映画では人間界とは別に魔法界があり、人間界と同じように法秩序があり、議会や警察機構がある。人間と魔法使いが交流するのは、外国人同士の交流のようなイメージだ。これは西欧的な社会学の考えがベースにあるからなのだろう。
日本では陰陽師という魔法のような術を操る人間は、人間の社会の中に場所を持っていた。そうした能力を持った人がそれほど大勢いなかったからかもしれないが、人間界と対立するような社会の住人ではなく、特別な人間として暮らしていた。これは、鎖国時代に長崎の出島に異国人を住まわせていたのに近い。日本という国の原理は大原則であるから、それに対立するものなどはなく、特例として、自分たちとは異なる存在を受け入れていた。
自分とは異なる存在を認めつつ、互いに距離をおいて生きていきましょうという西欧的な考えは、オリンビックとパラリンピックのように、どちらにも同様な権利をもたせようという考え方につながる。また、日本的な、自分とは異なる存在を特別なものとして扱うシステムは、差別的な考えをはらんでいる。対等な権利を持たせることを考える前に、特別な許可によって、つまり誰にでも適用できるルールではなく、ご都合主義で対応していく。
とはいえ西欧的な考え方が優れているなどというつもりはない。多くの戦争を引き起こしてきた原理だからだ。
ハリーポッターを愉しむつもりで映画館に入ったが、いつの間にか社会に対する考え方の違いをそこに観ていた。
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