Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

李陵・山月記

中島敦を読んだのはいつだっただろう。中学校か高校の時だ。話の中身は覚えていたが、今回再読してそのリズムの良さに驚いた。漢文の趣のある独特な、言い切り型の力強い文体だ。読んでいて気持よく、その語彙の豊かさに唸ってしまう。三代続いて漢学に関わりのあった家系ならではのDNAであろうか。どの短編も中国にもともとあったものを脚色し独自の物語に仕立てている。翻訳ではない。いっとき流行った超訳というものではもちろんない。解説でも書かれているが、ドイツの小説の一節を思わせる展開があったり、古今東西の書物を読み下した知力の賜であろう。漢文だけでなく、英語、独語が読め、ラテン語ギリシャ語も学んだとある。明治の作家の知力胆力には畏れいる。
李陵では、数奇な運命に翻弄されながら主人公が己の処世を他人と比べて最後の最後まで悩むのだ。人間の心は変わらぬものだろう。弟子では、孔子の弟子となった子路が成長していく様を描きながら、最後まで師の考えを理解できない部分が残ったこと、そして師はそんな弟子の運命を早くから予期していてその通りになってしまったことを憂う。名人伝では、落語になりそうなネタなのに筆力のおかげで、一遍の奇譚として読ませてしまう。山月記は、虎になった男の悲哀が、独自の文章のリズムにのって迫ってくる。悟浄出世では、かっぱのお化けの沙悟浄が、自分とは何かを問い、答えを探して歩く旅の記だ。そして悟浄歎異では、沙悟浄は悟空たち一向に出会い旅をともにする。悟空とはどのようないきものなのか、同行者の視点で観察する。
表紙にイラストが使われているのは、現代の学生を狙ってのことだろう。内容とはそぐわないように思うのは、ずっと以前に読んだおっさんの考えなのだろう。この本の面白さを若者たちが知るのなら、イラストでもなんでもいい。日本語の文章の面白さ、豊かさを再認識する本だった。