昭和20年のはじめから、8月15日に玉音放送がラジオから流れるまでの日々に、当時の日本を支えていた様々な人々を描いた半藤一利の小説が原作だ。1967年に一度映画になっているが、昨年再映画化されたものを観た。淡々とした描写に事実を積み重ねて語ろうとする監督の意思を強く感じる。軍人たちの激昂した、漢文調の台詞まわし以外は、いたって普通の言葉で会話されていて違和感がない。陸軍青年将校の暴発によって、ちがった敗戦を迎えた可能性もあったのだと感じながらも、未だにかわることのない日本人のDNA的な側面を魅せつけられた。軍人たちは、民間人を武器と暴力でおどすのだ。自分たちの思想的な整合性のために、嘘をつき、暴力をふるい、自分たちの思いというエゴを貫こうとする。軍の最高責任者は自分の死をもって、クーデターを食い止めようとする。女性にも優しい彼だけが、何が重要で、なにを守らなければならないのかを考えて行動した。軍は現実を直視せず、影響力を考慮せず、日本教ともいうべき宗教的な価値観だけで行動し、決断し、エゴイスティックに振る舞う。その目には銃後も戦後日本も写っていない。大声で恫喝する男社会の権力者たちの姿が重なって見えた。論理的に、自分の頭で考えることのできないかぎり、歴史はいたずらに繰り返されるのだろうと思った。