Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

ジャックはここで飲んでいる

片岡義男は、まさにフィクションを作り上げる。こんな男と女はいないよ、と言って切り捨ててしまう人たちがいるのもよく分かる。彼が書くのは、人間と人間の関係性の話に限られている。それは、最初にどちらかが言葉を発し、それに対する受け答えから関係性が始まる。受け答えにならなければ、物語は成立しないから、小説にはならない。男があるいは女が発した言葉に対して、対等であり、関係性を広げる言葉を返した時に、二人は互いを認め合い、さらに言葉による関係性を深めていこうとするのだ。ちょっとしたゲームなのだ。投げかけられた言葉に対して、言葉で反応することは自分という存在のあり方に関わっている。こんな気の利いた会話をするやつなんて現実にはいないよ、という人にとっては、そうしたつまらない関係性しか経験して来なかったということが現実なのだ。自分が使う言葉は思考を作り上げ、自分を表現してしまう。無自覚でいることは、つまらないし、もったいない。そして、自分を作り上げることができないままの状態にい続けることになる。
バイリンガルということが言葉を考えるきっかけだったとしても、言葉の機能を知って、自らの世界を外へ広げることができるというのは、只者ではない、作家だから当然さ、なとどは思わない、写真を撮る視線が適確に機能するように、この作家の日本語は適確な表現を生み出す。リアルなどと言って、巷の言葉を並べる作家ではない。普遍的故に日本にはめったにお目にかからない関係性を描き出す。でも、こうした関係性はあるんだよ。小説ほどの美人と美男でなくていいなら。

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