Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

コインロッカー・ベイビーズ

読書会のために再読した。1984年の作品。村上龍は凄い。描写が視覚に訴えてくる。特にダチュラを見つけに海の中へ行くシーンのあたりは、スローモーションの映像を見ているようだった。映画化したくなるのはわかる。コインロッカーに棄てられた子供は、常に欠落感を抱き、自分が手にしていない何かを手探りで見つけようとしながら生きる。世間の常識に囚われていない部分、常識の中で欠落した部分という事もできるが、その部分を進化させ、傑出した才能を見つける。でも、自我の根本を支えるものが欠落していると思い込んでいるので、自信が持てない局面になると、不安な時期、つまり意識と無意識が渾然としたような状態へと退行する。彼らは特別なのか?一般の人とは違う体験をしたのは間違いないが、誰だって時代の影響を受けて生きている。常識に縛られて生きているが、矛盾点もわかっている。我々と同じだよ、と括ることは意味がない。だが、同じパーツを使って、他者のパーツと組み合わせたら、まったく違うものになるのだと気付かせてくれた。
彼らは、本能に従おうとしていた。従うべきだと思っていた。そこに行動原理があった。ではその本能はいつ、なぜ作られたのだ? 人間固有のものか? コインロッカーに棄てられたせいか? その後の辛く貧しい生い立ちの時期か? 自分の固執しているものが本能だと決めたのは誰? 自分の好きなことをやろう、というのは、ずっと昔から言われていることだが、それを定義津ゲルのも、個人個人、違っているのだ。本能に従うのも、絶対の存在の声を聞こうとするのも、得意なことをしようとするのも、人間一人ひとりの選択の結果なのだ。心臓の鼓動に耳を傾ける時、脳裏に浮かぶのは人それぞれ。本能かもしれないし、理性かもしれないし、恨みかも、快楽かもしれない。主人公が欠落した自分のパーツを手探りでさがす旅に同行して思ったのは、小説の楽しさだったが、行動を変えるエネルギーではなかった。

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)