Life and Pages

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映画永遠のゼロ

身近な人たちからの評判がとても高いので、新年最初の映画として昨日観に行ってきた。平日の朝で空いていると思っていたら、結構込んでいる。映画本編が始まる前に、二人の中学生くらいの男の子が左隣に座り、大きなバレルのポップコーンを食べ始めた。そして、映画の間、ずっと食べていた。戦闘シーンの騒音の中ではバリバリと、静かなシーンではサクサクと、ずっと食べていた。層でないと、あんなに大きなバレルはからにならないのだろう。で、ふと、本当にポップコーンが食べたかったかな、と疑問に思った。もしかしたら、いやおそらく、映画を観るときはコーラとポップコーン! というマニュアルに従った行動なのではあるまいか。花火の時は男の子も女の子も浴衣、ハロウィーンは本格的に仮装する。クリスマスにはチキンだ。これは、きっとマニュアルに従っているに違いない! 祭りのマニュアル化。毎月のように、イベントがある。正月にバレンタインに花見に。祭りや非日常だけではない、就活もマニュアル化。同じようなスーツで、同じような履歴書で、同じような面接問答集で、同じような会社を受けに行く。マニュアルにしたがって祭りの日々を生きていく。そこには自分出考えるという習慣がない。だから、覚悟もビジョンもない。だから、自分の人生がない。
映画の主人公、宮部久蔵を非難する兵隊たちには自分がない。信念を持って、自分で考え、自分の人生を生きようとする人は生きにくい世の中だ。いじめに遭う。仲間はずれにされる。それでも、自分の人生を生きるということは、我が道を往くことに他ならない。それは大きな道につながる。自分のない人は、それをエゴだと言うふうにしか見えないが、自分の脚で歩く人たちは、未来へ続く道を歩いている。想像力で現実と希望をつなげることができる。
映画館で過ごす時間は非日常の時間だ。自分の現実とはしばし別れを告げる。想像力を持って、自分の現実と映画のストーリーを重ね合わせると希望が生まれる。非日常は異常ではない。日常とリンクする世界なのだ。そう、想像力を持ってすれば。
せっかくの非日常の時間をマニュアル通りに過ごすのはつまらない。自分だけの時間に、自分の日常を豊かにする時間にするべきだし、できるのだ。自分の頭を使って考えれば。
スクリーンの中の世界とポップコーンを囓る音の狭間で、永遠のゼロが描き出したストーリーは、私の日常を豊かにするヒントを与えてくれた。
http://www.eienno-zero.jp/aboutthemovie/