Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

嵐のピクニック

本谷有希子さんの本は初めて読んだ。演劇の人でもあると知って、なるほどと思ったところがあった。とても視覚的な表現をするところと、ある出来事が起こってからは加速するような展開で一気に過激に暴走するようにクライマックスに向かうところだ。

この本は短編集で、13篇が収められている。さまざまなタイプの話があるのだが、いくつかの話は、女性の主人公がある日、ふと気がつく。私は何でこんなことをしているのだろうとか、なんでこんな目になっているのだろうとか。そこで我に返り、何か事件を起こしてしまうのだ。介護していた義母をグランドピアノに閉じ込めたり、無理解な旦那に愛想を尽かしてボディビルダーになったり、河原に決闘のために呼び出したり。どれもテンポよく読めて楽しい。

普通の景色が角を曲がると、まったく別の展開になる。とても面白かった。

嵐のピクニック (講談社文庫)

嵐のピクニック (講談社文庫)

 

 

映画 ブルージャスミン

2013年の映画。ウディ・アレンの作品でアカデミー主演女優賞も獲っている。登場人物は誰もが、ああ、こういう人いるいると思えるので、ぐっと引き込まれる。

ケイト・プランシェット演じる主人公ジャスミンは、夫と別れ、NYから妹ジンジャーの住むSFに引っ越してくる。最初、おしゃべりでめんどくさいやつだなあと感じて、それからいやなやつだと思うようになり、最後はなんだか哀しい人だなと思った。ラストシーンの後、彼女はその先、どうやって生きていくのだろうと心配になった。

贅沢に飼い慣らされ、生活を謳歌していた彼女。都合の悪いことには目をつぶっていた。夫の浮気の確証を握ったことから、夫の法律違反のビジネスをFBIに通報し、自分たちの生活を終わらせてしまった。彼女は司法取引で無実になったのだろう、一文無しになったが自由は手に入れた。自慢の一人息子は、夫を売った母を許せずに家を出て行った。

それまでの自分の暮らしと、何一つ持っていない今の自分とのギャップ。自分で考えていた行動していたのは、前夫と出会った大学3年まで。だから、もう一度学び直そうと考えるのはよくわかる。でも、生活費も稼がなくてはならない。現実的な選択肢を選ぶことになるのだが、自分の理想と違う現実に耐えきれないとアルコールと精神安定剤に手を伸ばす。異母妹との違いすぎる生活。どちらが正しいということではない。世界観の違いなのだ。そして、せっかくの新しい出会いも、彼女の過去の体験とプライドを捨て切れず、嘘をついてしまう。その結果・・・。

子供がいても躊躇せず、あけすけな会話を続けるところは、アメリカンだなと思うが、それは心を病み、独り言を発せざるを得なくなった病気の変形でもある。引きこもることを選択せずに、手ぶらで妹の家を出て行くジャスミン。彼女のロードムービーはここから次の章へと進む。

 

ヘミングウェイで学ぶ英文法

話題の本なので読んでみた。この本のおかげで、ヘミングウェイの原文の面白さを知った。とはいえ、6つの短編を読んだだけだが、単語の選び方が適切なのだ。以前から、よけいな修飾語を減らしたシンプルな文体ということは聞いていたが、実際に読んでみるとなるほどと実感。ハードボイルド好きな私としては、これは読まなければと思った。

まずは日本語訳でストーリーを読み、次に英語の原文を読む。読解のポイントも書いてある。それから、読解のポイントの解説を読み、関連する文法についての説明を読み、そしてストーリーの時代背景などでさらに深く読むためのヒントや知識が与えられる。これは売れる本だ。

続編もあるようなので、また読んでみようと思う。

ヘミングウェイで学ぶ英文法

ヘミングウェイで学ぶ英文法

 

 

薬物依存症

先月、とんねるずのタカの番組で話す清原を観た。なんだかほっとした。それで、この本を読むことにした。

球界のスーパースターは孤独だったと思う。そして、野球を辞めてからは自分の中にぽっかりと空いた穴を何をやっても埋めることができず、クスリに手を出した。そしてあと一回だけ、と思って使ってしまう。自分はまだ自分の意思でコントロールできると思っているのだが、本当はもう自分ではコントロールできなくなっている。自分の意志ではどうにもならない。病気なのだ。それも、化学薬物によって脳が変わってしまっている。死に至る前に逮捕されてよかったのかもしれない。

リハビリはつらい時間だった。最初は死にたくて仕方がなかった。いつまたクスリに手を出すかもしれないという恐怖と戦いながら、ひきこもるより他なかった。今年、執行猶予期間を無事に過ごして、晴れて普通の暮らしができるようになったのに、まだ、再びクスリに手を出してしまうのかも、という恐怖から逃れられない。それは、これからもずっと続くのだろう。

最愛の母は昨年亡くなられたが、子供たちとはまた会えるようになった。そして、こうした手記で自分を振り返ることができるようになった。その語り口がまっすぐで、不器用で、愛おしい。7月場所の大相撲で幕尻優勝を果たし、復活した照ノ富士のまっすぐさと重なる。「愚直に」そんな言葉を体現した二人。この言葉にこめられた意味の深さをかみしめて、自分も愚直に生きようと思った。

薬物依存症 (文春e-book)

薬物依存症 (文春e-book)

 

 

値上げのためのマーケティング戦略

マーケティングの本なのだが、価格設定を中心に書かれているのが特徴的だ。日本の企業は価格決めが下手だという指摘にはいきなり納得する。牛丼やさんや居酒屋の低価格競争のおかげで、消費者としては大変助かっているのだが、提供する側は儲けが少なく、苦労している。そうしたチェーン店だけではなく、多くの飲食店が儲けが少ないなかでやりくりしていたことが、このコロナ禍の中で明らかになった。閉店、倒産が相次いだ。とはいえ、350円の牛丼を明日から700円にします、と言われたら、その店から足が遠のく。安い価格で食事できることに慣れきっているからだ。

高い価格がいいとは言わないが適切な価格を設定し、その価値を認める人たちに購入してもらう。それは夢のような話だろうか。いや、AppleNikeBMWなとばそれができている。類似品よりも高い価格を払うことさえも、満足感になっている。こうした幸せな関係はブランドとファンという構造になっている。いろんな商品やサービスがこうした幸せな関係を築こうと「ブランディング」に力を入れている。それは正しいマーケティングだが、どんな商品でもブランドになれるわけではない。

俯瞰で見れば同じ商品群の中で、ブランドになるものとそうでないものがある。その一つが書籍だ。好きな作家の新刊は、ハードカバーで3000円を超えていても買うのに、いくら薦められてもピンとこない本に2000円を出すかどうか悩む。それでも書籍は安くてありがたいものだとわかっているが、自分との関わりがあまり見いだせない本には手を伸ばしにくい。しかし、勉強や仕事に必要な本は価格を気にせずに買い集める。それは資料と名前を変えてしまうからか。

この本の最後の章で、欧米企業の「プライシングマネジャー」の存在について触れている。日本企業の商品の価格は誰が決めているのか不透明なことが多いが、科学的に、戦略的に価格を決める職種があるのは、やはり価格付けの重要性を知っているからだ。日本企業には他にもCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)がほとんどいないという事実も、マーケティング的思考があまり浸透していないということだろう。もちろん、欧米の役職を取り入れればいいのに、ということではなくて、市場をしっかりと考えられているかどうかということだ。近江商人の「三方よし」の考え方は最新のマーケティング理論をずっと先取りしている。

値上げのためのマーケティング戦略

値上げのためのマーケティング戦略

  • 作者:菅野 誠二
  • 発売日: 2014/02/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

Boy From Woods

以前読んだハーラン・コーベン著の「Run Away」の続編。NYの辣腕弁護士へスター・クリムスタインが活躍するシリーズだ。

最初のシーンは1986年4月、ニュージャージー州の森の中から6~8歳の少年が発見された新聞記事から始まる。そして舞台は2020年の4月、34年後に飛ぶ。一人の少女が学校でいじめを受けている。来る日も、来る日も。少女はある日、消える。同級生のマシューは、祖母のへスターに相談する。ただごとではないと予感したからだ。しかし、それはいじめられていた女の子ナオミの狂言だった。

そして再び、ナオミは忽然と消える。同級生で、いじめっ子だったクラッシュも姿を消す。へスターとも親しい、34年前に森の中で発見されたワイルドが捜索に乗り出すことになる。彼は軍隊に属していたこともあり、今も森の中で一人で暮らしていて、二人の潜伏先だと思われる森に詳しいからだ。へスターは息子を交通事故で亡くしてから近寄らなかった、以前、家族とともに住んでいた家で、今はマシューが暮らす家に出向くことになる。思い出したくなかった息子の死と向き合う、新たな真実を知る。

クラッシュの両親はまったく別の件で脅迫されていたが、それと息子の家出は別のことだと考えていたが、ある日、森の中で、息子の切断された指を見つけると、息子は誘拐されたのだと気がつく。ナオミの失踪、脅迫事件、へスターの息子の交通事故の真実、事件の全貌が明らかになったとき、ワイルドは決断する・・・。

章を追うごとに、謎が深まり、新たな出来事が加わって、登場人物の素性が浮き彫りになる。最後のページまで、予想を裏切る展開が続く、ページターナーの一作。ギャングも出てくるが、大量殺戮はないし、脅迫も取引もパソコンとハイテクを使う、2020年の物語になっている。私はいじめの描写を読むのがつらかったが、あとは一気に楽しめた。

 

The Boy from the Woods

The Boy from the Woods

 

 

 

一人称単数

村上さんの新作短編集。いくつかは月刊誌の連載時に読んでいたが、こうしてまとまった本を読むのはまた楽しい。大学生の頃からそうなのだが、村上春樹の小説を読んでいると自分でも物語を書きたくなってくる。今回はどれも面白かったが「品川猿の告白」のような話はぜひ書いてみたいと思った。人間の言葉を話す猿が登場するのだが、そうしたことがあるということを読者に信じさせることができれば、あとは上手に物語を進めていくことができるのだなと感じた。けっして簡単なことではないが、この登山口から登ってみたいなと思ったのだ。

今回はいつもの読後感とは違う発見があった。最後の一篇が本のタイトルにもなっている「一人称単数」だ。主人公はなんだか不条理で不憫な目に遭うのだが、その中の一節にこうある。『・・・そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。』これを読んでうーんと思った。私自身は自分を『一人称単数』の存在として認識しているだろうか。いや、していない。理屈で考えればそうであることは間違いないが、自分の存在の仕方をふだんから『一人称単数』として意識しているかというと、そうではない。これは外国語の、おそらくは英語を母語あるいはそれに近いものとして受け止めている人の考え方だ。とはいえ、村上春樹を「日本人のくせに、なに、かっこつけちゃって」とケチを付けたいわけではない。小説家、翻訳家として、英語や日本語の文章を書くときに人称を意識していることの表れなのだと思う。そう考えたら、小説を書く人というのはそういうものなのかとなんだかとても感心してしまった。

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)