Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

彼らを書く

彼らとは、ザ・ビートルズボブ・ディランエルヴィス・プレスリーのことだ。彼らを映像で捉えたDVDやブルーレイなどを片岡義男が鑑賞し解説する。市販されているものばかりだから誰もが観られる。だが、同じことを読み取れるかというと、まったく足下にも及ばない。英語ができるとか、世代が違うとかの理由ではまったくない、人間に対する観察力の差なのだとしか言うほかない。作家、片岡義男が誰とも違う作家であることをまたも思い知る。そして、それはうれしい体験だ。

一例をあげてみよう。私はこの箇所でいったん読むのをやめ、この文章を読み直した。「To Sing For Youという歌をドノヴァンが歌い始めるとディランはすぐに、Hey, that's a good song man.と言う。このgoodというひと言のなかに、それまでのディランのすべてがある。単にgoodという言葉があるだけで、それを支える根拠はなにもない場合とくらべてみるといい。」「That's a good song.とじつに気軽に言うときの、goodというひと言がその人の歴史として持っている深さを、どこまでも掘っていくなら、自分もいずれは作るgood songのもとになるはずの自分、というオリジナルな源があるはずだ。僕の経験では、good songは三千曲くらいならすぐに体験出来る。一九六五年のボブ・ディランには、good songの蓄積は五千曲はあったのではないか。これだけのgood songを体験し、歌詞とコードを覚え、いつでも人前で歌えるようになる過程のなかに、その人の核のようなものがある、と僕は思う。」p120、121

この三者は、同時代として体験できなかった私は、勉強のようにして、後から聴いたのだが、メロディの美しさ、演奏の素晴らしさでわかった気になっていて、いくつかの歌の歌詞の意味を調べてみたにすぎない。音楽のできばえだけではなく、時代の精神にも触れる機会はなかなかないし、理解できるものでもない。それでも、音楽や映画をなぞる文章を読むのはなかなか楽しい体験だった。

彼らを書く

彼らを書く

  • 作者:片岡 義男
  • 発売日: 2020/04/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

映画 ちはやふる

3部作を一気に観た。少女漫画が原作で、主人公の女の子が、その幼なじみの男友だち二人と一緒に競技カルタを遊びながら学び、途中で一人の男の子が引っ越ししてしまい、ばらばらになってしまう。それぞれが高校に入り、高校カルタ部として日本一を目指す話だ。主人公役の広瀬すずは、実際に自分の高校三年間にこの三部作を撮ったらしい。去年、百人一首の英訳本を読んで、面白くていろいろと調べていたら、この映画に突き当たり、WOWOWで放送したのを録画していて、ようやくまとめて観たところだ。

競技カルタとはどういうものか、なんとなくわかったし、千年前の和歌が現代にも息づいていることを教えてもらってなかなか楽しかった。第二作「下の句」の中で、「迷ったときはどうしたらいいのか」ということを男の子がもう一人の男の子に問いかけ、それには「楽しかったときのことを思い出せ」と言われる。その子も師匠に教えてもらったのだけれど。三人は、それぞれ壁にぶち当たったときに、無心にカルタを楽しんでいた幼い日のことを思い出す。なんだかそのシーンが胸に刺さった。それで私にとって、それはどんなシーンだろうかと考えた。

それは中学校の野球部にいた頃だなと思った。私は中学校から野球を始めたから、レギュラーになれないと思っていたけど、野球をするのが楽しくて毎朝始業前に校庭で野球をやり、昼休みに野球をやり、夕方は部活で野球をやり、土日はみんなで集まって野球をしていた。あとでレギュラーにはなれたのだが、それよりも野球をする自体が本当に楽しかったなあと思い出した。大人になると、映画の中の高校三年生よりも少しは余分にいろいろなことを抱えてしまって、それほど純粋にはなれないのだが、今日はなんだか、ちよっと救われたような気がした。たぶんいいタイミングで観たからだろう。

http://chihayafuru-movie.com/#/boards/musubi

閑話休題 3色ボールペン

「ここに3色ポールペン落ちていませんでしたか」と隣のテーブルに座っているお客さんに女性が尋ねる。少し前まで、その席に座っていたそうだ。わたしはコーヒーを手に、ちょうど席に着こうとしていた。その人が困っているようなので、念のためにと思って自分のテーブルの脚のあたりに目をやると、なんと黒いボールペンが落ちている。これに違いないと思ってそのペンを手に取って立ち上がり、さっきの女性にこれではありませんかと声をかけた。するとその女性は「私のは3色ボールペンです。これは2色ボールペンですから私のではありません」と叱責するような口調でわたしに言った。わたしは親切心で言っただけなのに、きつい口調で返され驚いた。なんだよ、その言い方は、と思った。こういう方には何を申し上げてもダメだと経験上知っているので、そうでしたかと言って、ペローチェのカウンターのお兄さんに、あそこの席に落ちてましたよと言ってカウンターに置いた。まだまだコロナ感染が気になる時期に、床に落ちていたボールペンを渡された店員さんもかわいそうだよなと思ったが、わたしもひっこみがつかないし、元あった場所に戻すわけにもいかないので、渡してすぐに自分の席にもどった。久しぶりに立ち寄ったカフェでの出来事。家の外に出るといろんなことに出会うものだ。それにしてもボールペンがやたら落ちているカフェだな。

こころと脳の対話

「そこをわきまえていないと、そういう(精神)分析の話をしてみんなを喜ばせているうちに、そういう気になってくるんです。だから怖いのは、カウンセラーで、講演が上手になる人はみんなだめになります」P196

精神分析をしていると、犯人像などについてコメントを求められることがあるが、河合先生はそれを全部断るのだという。何かのデータや数字をもとに人をすぐに判断しようとするのは世の中の風潮だが、河合先生は、人間はそうしたことで判断できないと思っているからだ。相手を感心させる分析はいくらでもできるが、それをしないのは、人間を分かった気になってしまうからだという。

では、ユング派の河合先生は、カウンセリングでは何をするのか。中心をはずさずに人と接する、のだという。その人をとにかく正面から受け止め、話を聞く。なにも反論せずに相手に話させる。そうすると相手が自分で考え、変わっていくのだという。そして普通の話をずっと聞いているだけなのに、とても疲れることがあるという。そういうとき、その人の病状は深い。河合先生は全身全霊で相手を受け止めることだけに集中して話を聞く。疲れてしまうのは、相手との関係性を築くために苦労するからなのだ。

河合先生がタクシーに乗ると、運転手さんが身の上話を始めてしまう。たぶん、うなずき方だったり、間のとり方が、相手に話をさせたくなるのだろう。本当の達人だ。

脳科学を研究する茂木さんは「クオリア」という感性的なことに感心が向かっている。河合先生は、自分がしていることは近代科学とは違うと言い切る。「関係性」と「生命現象」についての研究だという。普遍的なものを扱うと割り切ったのが科学だ。生命現象は科学の手法では定義できないことがたくさんある。可能性について考えようというのが、ユング心理学だという。

「いまいくらグローバリゼーションといっても、文化まで普遍的に一元化するわけじゃないでしょう。ほかが普遍化するだけ、文化はむしろ多様化するというのと、僕は似ているように思っているンですけれどね」P192

新型コロナの時代と共存しなければならなくなったいま、心に響く言葉だ。

こころと脳の対話 (新潮文庫)

こころと脳の対話 (新潮文庫)

 

 

20歳の自分に受けさせたい文章講義

文章読本はたくさん出版されていて、わたしもすでに何冊も読んでいるだが、著者名を見て気になるとついつい買ってしまう。今回は、ネパールについての文章を書いていた古賀さんの本だ。嫌われる勇気というベストセラーも書かれている。

いきなり引き込まれたのは「頭の中のぐるぐるを伝わる言葉に翻訳したものが文章だ」という一節だ。そもそも文章は話すようには書けないし、書くのではなく自分の想いを翻訳するのだ、という言い方はよくわかる。広告のコピーを書いているときは、まさにこの通りだ。文章構成はまず図解してみるといい、というのも同じ。そうなんだ。広告のコピーを書くのと同じだったんだ。的確な表現の言葉をたぐり寄せながらふむふむと読み進める。

もう一つ、なるほどと頷いたのが、「取材で100聞いたとしても、自分の理解が60で止まっていたなら、原稿には60までのことしか書けない」という一節。わたしもIT系のテーマを取材して原稿を書くことがある。自分の理解と、読者に伝えるべきことをたとえば、80と設定して書くことがある。そのとき、クライアントであるITのプロたちは、残りの20を強引に押し込もうと、専門用語と、ときには社内用語で文章を修正してくる。修正することは慣れているし、それも仕事の範疇であるからまったく問題ないのだけれど、80の世界を表現するために書いた文章を90とか95の世界にするならば、そのサイズで世界観を書き直さなければおかしいのだ。なのに、ここに追加しろと、一部だけ肥大化させる指示が来る。書き直さなければダメだと言っても伝わらず、世界観を接ぎ木した歪な文章ができあがる。やはりこれではだめだよね。深く反省。闘おう(できるだけ)。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社新書)

  • 作者:古賀 史健
  • 発売日: 2012/01/26
  • メディア: 新書
 

 

ネット ネパールでぼくらは。

ほぼ日に昨年連載された、ネパール紀行の記録。膨大な数の写真と文章に圧倒される。カメラマンと作家、ライターなど、それぞれの人が自分の眼で見て、自分で体験したことを文章と写真で伝えてくれる。とても新しい形式だし、webというメディアをとても上手に使った例だ。新しくて素晴らしい体験ができる。

 

https://www.1101.com/nepal/index.html

月の沙漠をさばさばと

さきちゃんとお母さんの12の短いおはなしの連作集。小学三年生のさきちゃんのお母さんはお話を作る仕事をしていて、さきちゃんは寝るまえにふとんに入ってからお母さんに話をしてほしいとせがむ。お母さんは「この話に出てくるのは誰だと思う?」と問いかけ、さきちゃんが「くまさん」と言うと「よく分かったね。じゃあどんなくまさんだと思う?」と娘の要望を聞きながら話を作っていく。

お母さんは、さきちゃんの目線で想像するのがとっても上手で、聞き間違えたりすると、それはきっと昨日聞いたお話のせいだなとわかってあげて、全力でさきちゃんの想像力を受け止める。この母と娘はそうやってしっかりと日々を暮らしている。

世のお母さん方は、こういうことをずっとしているんだろうなと、思ってしまう。この小説が日常のやりとりを上手にくみ取ってくれているからだ。

挿画がかわいい。表紙から頁の中までこの小説の世界観がずっと広がっている。 

月の砂漠をさばさばと (新潮文庫)

月の砂漠をさばさばと (新潮文庫)

  • 作者:薫, 北村
  • 発売日: 2002/06/28
  • メディア: 文庫