Life and Pages

本や映画、音楽、日々の雑感

森繁自伝

森繁久彌という人は、私にとってはずっと大御所の役者さんであり、知床旅情の人だった。それから、向田邦子が台本を書いていた社長シリーズを知ることになったが、それ以上のことはなにも知らなかった。この本は、日本の演劇人となる前に、家族とともに満州に渡り、NHK局員として現地のラジオ放送をしていたのだが、終戦を迎え、現地でそして日本に引き揚げてからのことが書かれている。文章が上手なのには驚く。教養のある人なのだ。

森繁さんは、終戦後もずっと満州に残った。そしてロシア兵や中国兵がやってきては蹂躙される街で、ともに残っていた日本人たちの面倒を見続けた。敗戦国にはつきものなのかもしれないが、占領軍が誰彼構わず夫人たちを凌辱するのを避けるため、未亡人となった有志の女性たちが自主的に人身御供になってくれた。その夫人たちを手厚く面倒をみたのが森繁さんだった。

日本に引き揚げてからは、生活のために金を稼ぐ算段をする必要がある。あるときは紀伊半島の漁港に行き、網元と話を付けて卸売りをすることにしたのだが、その翌日紀伊半島地震に襲われ、壊滅的な打撃を受ける。当然ながら、魚の卸売りの話は立ち消えとなる。

それから、昔の伝手を通じて演劇の世界に戻ってくることになる。たくさんの映画に出演しながら、NHKのラジオ番組を始める。

読んでいるだけで、戦中・戦後の巷の薫りを感じる。読書の楽しみを教えてくれる本だ。今ではもう本屋では見かけず、図書館にしかない。

 

映画 PERFECT DAYS

2023年のカンヌ映画祭で受賞したということだけでなく、ヴィム・ベンダースと役所広司という組み合わせが気になっていた。すでに劇場では一日一回の上映で、小さなスクリーンでしか上映していなかったが楽しめた。主人公の平山は東京都の公衆トイレを清掃する仕事をしている。五十代くらいか。朝早く起きると、二部屋しかないアパートの一室を占拠する鉢植えの植物たちに水をやる。顔を洗って歯を磨き、朝食代わりの缶コーヒーを自動販売機で買い、仕事道具を積んだマイカーの運転席でそのコーヒーを飲む。首都高に乗って仕事に出掛け、都内各地のトイレを手際よく清掃する。昼食はいつもの公園のベンチでサンドイッチを食べる。午後も仕事をして、夕方遅くならないうちに家路につく。開店するのを待って銭湯に入り、それから自転車に乗って馴染みの、浅草駅地下の飲み屋で酎ハイ2杯とつまみで夕食を済ませる。夜は早めに布団に入り、眠くなるまで読書。週末は古本屋で文庫本を買い、スナックで酒を飲む。そんな毎日が続いていく。

そんな平凡な生活に波風が立つこともある。若い仕事仲間。妹の娘。スナックのママの元旦那。隠遁者のような生活を送る平山にとって、人間関係こそが厄介の種なのだろう。それでも淡々と、日常を大切に生きていこうとしている。

平山が家と仕事現場を車で移動するとき、懐かしい80年代頃の音楽がかかる。彼はカセットテープを大量に持っていて、それを車内で聴きながら移動する。このシーンがとても良い。旅には出ないが、これはロードムービーなのだ。自分の城、あるいは分身とも言える軽ワゴン車には仕事道具がぎっしりと詰まれている。その車で仕事場に往復できるだけでも、電車通勤のサラリーマンより遙かに豊かな時間を持っているように感じた。銭湯や飲み屋へは自転車で行く。この自転車もちょっとおしゃれだ。決して金銭的なゆとりのないはずの生活なのだが、小さなこだわりが端々に感じられて、素敵な人生なのだろうと思える。生きるということ、日々の生活を続けていくことの中で大事なものとは、たとえささやかでも、自分が大切にしているこだわりだったり一人きりの時間なのかも知れない。映画を観た直後よりも、時間が経ってからじわじわとボディプローのように効いてくる映画だった。

 

PERFECT DAYS 公式サイト

それで君の声はどこにあるんだ?

黒人神学という言葉が、つまりそうした学問があることをつい最近まで知らなかった。だが、その言葉を聞いたときに、ずっと考えていた疑問を解くきっかけになるかもしれないと思い、この本を手にした。

アメリカでは今でも、残念ながら黒人たちは命の危機にさらされ続けている。黒人の死亡率は白人の倍だという。もちろん病気のせいではない。差別によって不当に殺される場合が今もあるからだ。黒人でキリスト教信者である人たちは大勢いる。一方で、キリストは白人の宗教だという人もいる。奴隷として扱われていた日々から多くの年月が過ぎても、まだ怯えながら暮らす黒人たちは少なくない。神に祈っても、救われないことが多いのに、キリスト教信者であり続ける黒人たち。彼らにとってキリスト教徒はどういう意味を持つのだろうかと疑問だった。

この本を読み終えても、私の疑問は解消することはなかったが、神に祈り続けながら生きていくことこそが、宗教なのだということはわかった。キリスト自身も神に見放されたと思いながら磔になった。だが、キリストは復活しても、警官に殺された黒人たちが生き返ることはない。不条理を抱えて生きている。合理性はない。それでも「キリスト者となることは、黒人となることとどこか似ている」とジェームズ・ボールドウィンは言ったという。

アメリカにはトランプを支持する黒人もいれば、貧民の白人もいる。合理的であることは、生きていくことの第一ルールではないのだ。だからこそ、宗教というものに人間は何かの光を見いだそうとするのかもしれない。

コロナ禍のアメリカで、チャイナウイルスと呼んだ大統領を信じて、多くのアジア人が黒人たちと同じような目に遭った。黒人であることの本当の苦しみを日本人に理解できるのだろうか?それは、この本の著者がずっと抱えている疑問だ。真の理解にはほど遠いかもしれないが、想像力を発揮することが人間として生きていくことの基本なのだと思う。そして自分なりの声を見つけることを求められているのだと思う。

 

 

坊やはこうして作家になる

言葉の問題を考えていて、過去の自分のノートを見直していたら、次のような引用文をメモしているのを見つけた。

「日本人の傲慢さは言葉で関係を作ろうとしないことである。言葉をつくして双方のために論理を重ねようとしないことである」

「日本人は考えなくてもいい状態が大好きである」

「日本語は支配原理のための言葉になりやすい。慎重に理知的に思考をめぐらせることの苦痛を目の前にすると、日本人は思考をあっさりと放棄するからだ」

「人は自分が獲得している言葉の質量の人生しか生きることができない」

これをメモした日付は2016年。本棚で表題の本を見つけ、奥付を見たら2000年2月。初版で買ったはずだから、20年以上も前にこの言葉に出会っていたのだ。特に最後に引用した言葉に目が釘付けになった。

生成AIなど、言葉が鍵となる時代が来たというのに、抽象的に考えるための言葉をどけだけ自分のものにできているのだろうか。もう一度、この本を読み始めようと思う。

 

じゃむパンの日

赤染晶子さんのエッセイ。なんて軽やかな、ユーモラスな文章なのだろう。こういう人に私はなりたい。リズムが良くて、ユーモアの分量がちょうど良くて。京都の人だから? 嫌みの代わりに諧謔で語るというような。こんなエッセイを書く女性が他にもいたよなあと思ったら、巻末で交換日記形式で文章を寄せられていました、そう翻訳家の岸本佐知子さんでした。こりゃ、気が合うわ。高橋源一郎さんのラジオでこの芥川賞作家のことを知ったのだけれど、なんとすでに鬼籍に入られていた。それでも、作家が残してくれた作品はずっと残り続ける。素敵なことだと思う。楽しい本をありがとうございます。

 

街とその不確かな壁

村上春樹の新刊。世界の終わりとハードボイルドワンダーランドの物語構造で、ストーリーが進む。でも、今回の新作の基になった中編がもともとあって、その書き直し的にハードボイルド・・・を書いたということらしい。そして、今回、書き直しをしたということだ。私は、現実と想像の世界を行き来する話は嫌いではない。村上春樹に限らず、小説や映画でいくつも描かれてきた。村上ワールドでは、境界を越えるのは地中に入っていくような通り抜け方だったが、今回はワープするような行き来の仕方が出てきた。時代も変わっているからね。

壁に閉ざされた街、というのは、かつて話題になったスピーチでも触れていたし、重要なメタファーなのだろう。人間の心中にあるもののようでもあるし、現代社会に実際にある場所のようでもある。不確かな壁、というのだから、精神的なものそのものだ、と言えるかとというと、アメリカという、リベラルな国だと思っていた国家が、大統領が替わり、州知事が変わると、過去に遡るような改悪をしたり、民主国家とは思えないようなことが起こる。ロシアにとっては、国境は思い通りに変えられるものだと思っているようだし。

主人公の視点で、物語が進むから、個人とその周りの世界という構造になる。見えていないものもたくさんあるし、想像するしかないことがたくさんある。小説というのは、そういうものだから。だから、読者も自分の想像を入れ込む余地がある。作家が提供してくれた世界観とリズムの中に浸りながら、自分なりの補助線を引くことができる。それが読書の喜びなのだと思う。今回も楽しい時間を過ごした。

 

メタモルフォーゼの縁側

ひとりの高齢の女性がたまたま本屋で手に取った漫画が好きになり、どんどん続編を読みたくなっていく。本屋でレジをしていた、アルバイトの女子高生が、それを見て、おやっと思う。自分は、その漫画、BL漫画が好きなのだが、なんとなく後ろめたくてそのことを友だちにも言えないでいるからだ。

高齢の女性は、偏見など全くなく、純粋な恋人たちの話とその漫画を楽しんでいる。その姿を見て、女子高生は自分のことも肯定されたように思い、一緒に行動するようになっていく。やがて、コミケにも一緒に行くようになるのだが。

話し相手のいなかった女子高生とその女性。同じようなところもあるが、少し違う。彼女たちの周りの目、こころの中に波立つ感情。小さなことだけれど、人間の気持ちの移り変わっていく感じをしっかりと表現できている。素晴らしいと思った。